ディートマー・キューバウアーとは? わかりやすく解説

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ディートマー・キューバウアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/20 02:08 UTC 版)

ディートマー・キューバウアー
名前
ラテン文字 Dietmar Kühbauer
基本情報
国籍  オーストリア
生年月日 (1971-04-04) 1971年4月4日(53歳)
出身地 ハイリゲンクロイツ・イム・ラフニッツタール英語版
身長 173cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1992 アドミラ・ヴァッカー 121 (7)
1992-1997 ラピード・ウィーン 148 (33)
1997-2000 レアル・ソシエダ 47 (2)
2000-2002 ヴォルフスブルク 49 (8)
2002-2008 マッテルスブルク 181 (24)
代表歴
1992-2005 オーストリア 55 (5)
監督歴
2008-2010 アドミラ・ヴァッカー II
2010-2013 アドミラ・ヴァッカー
2013-2015 ヴォルフスベルガー
2018 SKNザンクト・ペルテン
2018-2021 ラピード・ウィーン
2022- LASKリンツ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ディートマー・キューバウアー(Dietmar Kühbauer、1971年4月4日 - )は、オーストリア出身の同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー

長年に渡りスペインドイツで活躍したMF。

経歴

SVマッテルスブルクの育成部門出身。16歳でオーストリア・ブンデスリーガでのデビューを果たし、FCアドミラ・ヴァッカー・メードリングSKラピード・ウィーンで活躍。リーグ優勝1回、オーストリア・カップ優勝1回、UEFAカップウィナーズカップ準優勝1回などを果たした。

1997年スペインプリメーラ・ディビシオンレアル・ソシエダで移籍。ベルント・クラウス監督の下、チームの中心選手としてソシエダのワイドサッカーを支えた。

2000年にはドイツ・ブンデスリーガVfLヴォルフスブルクに移籍。優れたリーダーシップを発揮し、チームの主将に任命された。

そして2002年に古巣のSVマッテルスブルクに復帰。当時エルステリーガ(オーストリア2部)に属していたが、初年度で優勝とオーストリア・ブンデスリーガへの昇格を決める。SVマッテルスブルクのスター選手として長年活躍。2008年夏に現役引退を発表した。

日刊紙「クローネンツァイトゥング」が投票するオーストリア年間最優秀選手賞を最多となる6回受賞。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 55試合 5得点(1992年-2005年)[1]


オーストリア代表 国際Aマッチ
出場 得点
1992 4 0
1993 5 2
1994 3 0
1995 6 1
1996 2 0
1997 3 0
1998 11 1
1999 3 0
2000 5 1
2001 5 0
2002 0 0
2003 0 0
2004 5 0
2005 3 0
通算 55 5

獲得タイトル

出典

  1. ^ ディートマー・キューバウアー - National-Football-Teams.com

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