ディルク・レーマンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ディルク・レーマンの意味・解説 

ディルク・レーマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/20 08:35 UTC 版)

ディルク・レーマン
名前
本名 ディルク・ヨハネス・レーマン
Dirk Johannes Lehmann
ラテン文字 Dirk LEHMAN
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1971-08-16) 1971年8月16日(53歳)
出身地 アーヘン
身長 185cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1992 アレマニア・アーヘン 51 (21)
1992-1994 1.FCケルン 18 (3)
1994-1996 リールセ 49 (16)
1996-1997 モレンベーク 26 (2)
1997-1998 エネルギー・コットブス 24 (1)
1998-1999 フラム 26 (2)
1999-2001 ハイバーニアン 59 (9)
2001-2002 ブライトン&ホーヴ・アルビオン 7 (0)
2001-2003 マザーウェル 43 (9)
2003 横浜FC 12 (1)
2004 ヤーン・レーゲンスブルク 6 (0)
2004-2012 ボルシア・フライアルデンホーフェン
2012-2014 ボルシア・フライアルデンホーフェンII 21 (1)
2014-2015 アルマニア・ボウルハイム 14 (2)
2016 スポルトフリュンデ・デューレン 8 (0)
2016- ハンバッハー・スピエルファーアイン 1 (0)
通算 365 (66)
監督歴
2014-2015 アルマニア・ボウルハイム(選手兼任監督)
2016 スポルトフリュンデ・デューレン(選手兼任監督)
2016- ハンバッハー・スピエルファーアイン(選手兼任監督)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ディルク・レーマンドイツ語: Dirk Johannes Lehmann、1971年8月16日 - )は、ドイツ出身のサッカー選手

経歴

アルマニア・アーヘンから1.FCケルンに加入し、リールセSKRWDモレンベークと渡り歩いた[1]。モレンベークでは1996-97シーズンに26試合出場した他、UEFAヨーロッパリーグでも2試合に出場した[2]

その後、エネルギー・コットブスに移籍し、フラムFCに移籍した。フラムでは26試合に出場し、その美しい口髭や艶やかな髪、そしてフラムのサポーターのユーモアから「ポルノスター」と称された[3]。フラムを退団した後はスコットランドのハイバーニアンFCに移籍[4]

ハイバーニアンでのデビュー戦はマザーウェルFC戦で2-2の引分、しかし彼はこの試合で2得点を決め、鮮烈なデビューを果たした。2001年に契約満了に伴い退団、ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに移籍すると、彼はイヤリングをつけていたため、絆創膏をつけてピッチ上に立った[5]。その後この行為によって出場停止処分を下されている[6] 。ブライトンではスウォンジー・シティFCから得点をあげたのが唯一の得点となった[7]

そしてマザーウェルFCに移籍し[8]ジェームズ・マクファデンと共にアタッカーとしてプレーした[9]

マザーウェルから放出されると、2003年7月に横浜FCに加入した[10][11]

2004年にボルシア・フライアルデンホーフェンに加入。

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2003 横浜FC 9 J2 12 1 -
通算 日本 J2 12 1 -
総通算 12 1 0 0

出典

  1. ^ Player: Dirk Lehmann”. Footballdatabase.eu. 6 January 2012閲覧。
  2. ^ Hammond (ed), Mike (1997). The European Football Yearbook 1997/98. Sports Projects Ltd. ISBN 0-946866-42-2 
  3. ^ Cult Heroes”. Fulham F.C. official website. (27 March 2007). 8 June 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。16 April 2014閲覧。
  4. ^ FULHAM : 1946/47 - 2011/12”. neilbrown.newcastlefans.com. 1 September 2012閲覧。
  5. ^ Leslie, Colin (12 January 2002). “Former strikers express concern for Hibs’ plight”. The Scotsman. 1 September 2012閲覧。
  6. ^ Coates, Jonathan (2 February 2002). “Easy target man Lehmann is planning to have last laugh”. The Scotsman. 1 September 2012閲覧。
  7. ^ Swansea 1–2 Brighton”. BBC (16 October 2001). 28 December 2009閲覧。
  8. ^ Motherwell axe 19 players”. BBC Sport (29 April 2002). 1 September 2012閲覧。
  9. ^ Gibbons, Glenn (27 December 2002). “McFadden turns the tables”. The Scotsman. 1 September 2012閲覧。
  10. ^ レーマン選手 加入のお知らせ(03.07.24)』(プレスリリース)横浜FC、2003年7月24日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=12532018年8月18日閲覧 
  11. ^ Lehmann heads for Asian adventure”. Sky Sports. 7 November 2013閲覧。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ディルク・レーマン」の関連用語

ディルク・レーマンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ディルク・レーマンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのディルク・レーマン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS