チャールズ1世 (イングランド王)
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チャールズ1世(Charles I, 1600年11月19日 - 1649年1月30日)は、ステュアート朝のイングランド、スコットランド、アイルランドの王(在位:1625年 - 1649年[1])。スコットランド王ジェームズ6世(当時はイングランド王位継承以前、後のイングランド王ジェームズ1世)と妃アン・オブ・デンマークの次男。父と同じ絶対王政を強めて議会と対立を深め、清教徒革命(イングランド内戦)で敗れて処刑された。
- ^ しかし皮肉にも、帰国した2人は婚約破談により、反スペインで沸き立っていた民衆に歓迎された。この好意を当てにした2人は議会召集をジェームズ1世に進言、1624年2月に開会された。今井、P168、塚田、P68、清水、P19 - P20。
- ^ 元々戦争に反対していたジェームズ1世はスペインを刺激することを避けるため介入、同盟により出兵したイングランド軍に大陸のスペイン領通過を禁じた。これはイングランドに代理戦争をさせようとしたフランスのイングランド軍上陸禁止に繋がり、ひいては準備不十分のイングランド軍がろくに戦わないまま疫病で自滅という惨めな結果をもたらした。今井、P170 - P171。
- ^ バッキンガム公がフランスと約束した条件の中に、ヘンリエッタ・マリアの家庭内における宗教的寛容と聖堂の設置があり、ヘンリエッタ・マリアはイングランドでもカトリック教徒であり続け、セント・ジェームズ宮殿内部にイニゴー・ジョーンズ設計のクイーンズ・チャペルが建てられた。これらはプロテスタントに恐怖の念を抱かせた。森(1986)、P408、今井、P170。
- ^ だが、乏しい財政では質の悪い兵士しか集められなかったこと、本国からの補給が不十分だったこと、当時軍事技術は向上しており、イングランドがこの変化についていけなかったことも遠征失敗の原因であり、バッキンガム公に全て責任がある訳ではない。今井、P173 - P174。
- ^ 敗北後もモントローズ侯は諦めずゲリラで各地に出没、盟約派との戦いを続けていたが、1646年にスコットランド軍に捕らえられたチャールズ1世が軍解体を命令したためそれに従い、ノルウェーへ亡命した。ウェッジウッド、P578 - P582、P629、P637。
- ^ アイルランド同盟はカトリック刑罰法の撤廃を、オーモンド侯はアイルランド同盟が占領したアイルランド国教会の領土返還を要求した。この実現が難しい要求で交渉は進まず、援軍欲しさに撤廃に応じるチャールズ1世をオーモンド侯が諫めることもあった。山本、P140 - P141。
- ^ その後1649年1月17日に改めてオーモンド侯とアイルランド同盟は1646年と同様の条件で和睦、障害だったリヌチーニが2月にアイルランドを離れたため両者は手を結んだが、皮肉にも和睦した日はチャールズ1世が処刑される13日前だった。山本、P144。
- ^ 木村靖二、岸本美緒、小松久男『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2017年、224頁。ISBN 978-4-634-70034-5。
- ^ 森(1986)、P401 - P403、P406。
- ^ 今井、P172。
- ^ 今井、P160、P167、塚田、P66。
- ^ a b c d e f g h i j k 松村、P136。
- ^ 森(1986)、P406 - P407、今井、P167 - P168、塚田、P67 - P68、清水、P19 - P20。
- ^ 森(1986)、P407、今井、P168 - P171、塚田、P68 - P69。
- ^ 森(1986)、P407 - P408、今井、P171 - P173、塚田、P69 - P73、岩井、P31 - P32。
- ^ 森(1986)、P408 - P409、今井、P174 - P178、P189 - P190、塚田、P73 - P78、清水、P20 - P21、岩井、P32。
- ^ 森(1986)、P409、今井、P178 - P180、塚田、P78、P119 - P120、清水、P21 - P22。
- ^ 森(1988)、P318 - P319、今井、P180 - P187、トランター、P271 - P272、塚田、P97 - P104、清水、P21 - P24、岩井、P32 - P33。
- ^ 今井、P187 - P189、P191 - P192、トランター、P272 - P274、塚田、P104 - P107、P124 - P126、清水、P31 - P35。
- ^ 森(1988)、P319 - P320、トランター、P274 - P276。
- ^ 森(1986)、P409 - P410、今井、P192 - P197、塚田、P126 - P136、清水、P35 - P40、P43 - P51。
- ^ 森(1986)、P410 - P411、森(1988)、P320 - P322、今井、P200 - P209、塚田、P136 - P138、P152 - P154、清水、P60 - P64、P69 - P71、P76 - P82、P88 - P96、P99 - P100。
- ^ 塚田、P190 - P195、友清、P4 - P6。
- ^ トランター、P276 - P280、ウェッジウッド、P374 - P378、P426 - P432、P495 - P502、P517 - P518。
- ^ 山本、P136 - P142、ウェッジウッド、P324 - P325、P492。
- ^ 山本、P142 - P144、ウェッジウッド、P541 - P546、P555 - P559、P617 - P620。
- ^ 森(1988)、P411、今井、P213 - P215、塚田、P157 - P159、友清、P7 - P9、清水、P123、P126 - P127、P129 - P138。
- ^ 森(1986)、P404 - P406、P411 - P412、今井、P215、清水、P138 - P148。
- ^ Jordan, Don; Walsh, Michael (2013). The King's Revenge: Charles II and the Greatest Manhunt in British History. London: Little, Brown Book Group. ISBN 978-0-3491-2376-9. pp. 174-336
- ^ Cust, Richard (2005), Charles I: A Political Life, Harlow: Pearson Education, p. 461, ISBN 0-582-07034-1
- 1 チャールズ1世 (イングランド王)とは
- 2 チャールズ1世 (イングランド王)の概要
- 3 王位継承の家系図
- 4 脚注
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