ダマスカス占領 (1920年)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ダマスカス占領 (1920年)の意味・解説 

ダマスカス占領 (1920年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 19:04 UTC 版)

ダマスカス占領 (1920年)
フランス・シリア戦争英語版
1920年7月24日
場所シリア・アラブ王国ダマスカス
結果

フランスの勝利

  • フランス・シリア戦争の終結
  • シリア・アラブ王国の滅亡
衝突した勢力
フランス第三共和政 シリア・アラブ王国
指揮官
Henri Gouraud
被害者数
最小限の死傷者

1920年のダマスカス占領は、フランス・シリア戦争の最初の局面である。

ほとんど抵抗なくフランス軍がダマスカスを占領して、シリア・アラブ王国が終わり、フランス委任統治領シリアに移行した。すぐ後、1920年9月、ダマスカスはフランスの委任統治の下でダマスカス国英語版の首都として設立された。

歴史

1920年1月に勃発したフランスに対するハーシム家の戦争は、まもなく、新生シリア・アラブ王国にとって壊滅的な戦いになった。フランスとの長い流血の戦争の結果を心配して、ファイサル王は1920年7月14日に降伏したが、王のメッセージは防衛大臣Yusuf al-Azmaには届かず、王を無視してフランスの進軍からシリアを守るためにMaysalunまで軍を率いた。マイサランの戦い英語版によりシリアが壊滅的な敗北を喫した。その後フランス軍はダマスカスまで進軍して1920年7月24日に占領した[1]

フランス軍はダマスカスの住民による抵抗にはほとんど遭わなかったが、進軍の最初の頃に、ShaghourとMidanの住民との間で銃撃戦になった[2]。1日後、Ala al-Din al-Tarubiによる親フランス政府が発足した[1]

関連項目

脚注

  1. ^ a b Eliezer Tauber. The Formation of Modern Syria and Iraq. Frank Cass and Co. Ltd. Portland, Oregon. 1995.
  2. ^ Gelvin, James L. (1999). Divided Loyalties: Nationalism and Mass Politics in Syria at the Close of Empire. University of California Press. p. 294. https://books.google.com/books?id=D4Us4_x8M4kC&pg=PA75 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ダマスカス占領 (1920年)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ダマスカス占領 (1920年)」の関連用語

ダマスカス占領 (1920年)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ダマスカス占領 (1920年)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのダマスカス占領 (1920年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS