ソウル社稷壇とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ソウル社稷壇の意味・解説 

ソウル社稷壇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/18 04:59 UTC 版)

ソウル社稷壇(ソウルしゃしょくだん、ソウルサジクタン、서울 사직단)は、李氏朝鮮時代、国家として土地の神である「」と、穀食の神である「」に対して祭祀をおこなった場所である。

歴史

李氏朝鮮の初代国王である太祖(李成桂)が、漢陽(現在のソウル)に都邑を定めたおり、周礼の「左廟右社」の原則にのっとり、景福宮の東側に宗廟を、西側に社稷壇を設けたのが始まりである。

社稷壇は2重の柵に囲まれており、柵の四方には紅箭門(ホンサルムン、屋根が無く桟がついている赤い門)が設けられている。土地の神に祭祀をおこなう社壇は東側に、穀食の神に祭祀をおこなう稷壇は西側に配置され、壇の形は「空は丸く地は四角い」という「天円地方」説に基づき方形で造られた。壇の周りは3段の石段が取り囲み、壇の上は各方角により黄、青、白、赤、黒の5色の土で覆った。

最初に建立されたとき、壇の周辺には東・西・北側の山のへりに沿い囲いをめぐらし、その中に神室を置いたが、文禄・慶長の役の際、神室などは焼失した。第14代国王である宣祖の末になりようやく修復され、歴代国王の世にまたがり修理が続けられた。神門は単層の切妻屋根で、元の位置より若干後退している。

日本の統治時代に、都市計画により、公園にされ面積が縮小された。以後1980年代末に社稷壇の整備事業が進められ、壇とその周辺が一部復元された。文化財保護施設として指定されているために、一般人の直接の立ち入りや通行はできない代わりに、社稷壇のホンサルムンや石垣ごしに祭壇の姿を見ることができる。

参考

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ソウル社稷壇」の関連用語

ソウル社稷壇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ソウル社稷壇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのソウル社稷壇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS