ゼルダ・セガン・ウォーレスとは? わかりやすく解説

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ゼルダ・セガン・ウォーレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/28 00:52 UTC 版)

ゼルダ・セガン・ウォーレスの広告写真(1876年)

ゼルダ・ハリソン・セガン・ウォーレス(Zelda Harrison Seguin Wallace、1848年 - 1914年2月19日)は、アメリカ合衆国出身のオペラ歌手、および婦人参政権論者

若年期

ゼルダ・ハリソンはニューヨーク市に生まれる。ヴィクトリア女王の戴冠式で歌唱したアン・チャイルド・セガンの許で声楽を学んだ[1]

経歴

アルトのゼルダ・ハリソン[2]が初めて舞台に立ったのは1865年における17歳の時のニューヨーク州サラトガ・スプリングズである。ゼルダ・セガンとしての彼女はエマ・アボット英語版率いるアボット・イングリッシュ・オペラ・カンパニーなどとともに人気のあるフランスやイタリアのオペラを英訳したのを歌唱して成功を収める[3]。他にはアメリカ合衆国において初めて英語で上演された『カルメン』のタイトルロールを歌唱したこと[4][5]や『イル・トロヴァトーレ』のアズチェーナ役を演じたことでもよく知られている[6]

ゼルダ・ウォーレスとしての最後のオペラ出演は、1886年にニューヨーク市で上演された『ミカド』であった。その後も故郷のインディアナ州インディアナポリスでコンサートを開いたり、正当な理由により婦人参政権などを援助したりした[7][8][9]。ある評論家は「ゼルダ・セガン=ウォーレスがとても力のある婦人参政権論者であることは世間一般には知られておらず、彼女がそうであると主張すると大抵は驚かれる」と述べている。

1895年の列車脱線事故[10][11]で重傷を負った[12]ウォーレスは事実上の女優業引退となった[13]。また1911年に親類宅で発生した火災では衣装、楽譜、記念品の多くが失われた[6]

私生活

ハリソンは2度の結婚をしている。最初の夫は1867年に結婚した恩師のアン・セガンの息子で歌手のエドワード・S・C・"ネッド"・セガンであるが、彼は1879年に亡くなっている。最初の結婚で2人はエドワード・S・R・セガンという名の息子をもうけている[14]。最初の義母の裕福な遺産を放棄し、1880年に鉄道員のデイヴィッド・ウォーレス・ジュニアと結婚した[1]。1911年にデイヴィッド・ウォーレス・ジュニアが亡くなった後は再び未亡人となる。1914年に65年の生涯を閉じた[15]

再婚した後、セガン・ウォーレスの義兄となったのが小説『ベン・ハー』の著者ルー・ウォーレスである。義母のゼレーダ・グレイ・ウォーレス英語版は禁酒と婦人参政権の活動家、かつインディアナ州知事デイヴィッド・ウォーレス英語版の妻である[16]

脚注

  1. ^ a b Thomas Allston Brown, A History of the New York Stage from the First Performance in 1732 to 1901, Volume 1 (Dodd, Mead 1903): 250.
  2. ^ "Theatrical Talk: New Roles for Zelda Seguin" Freeport Journal-Standard (August 24, 1883): 2. via Newspapers.com
  3. ^ Sadie E. Martin, The Life and Professional Career of Emma Abbott (1891): 42.
  4. ^ Laura A. Smith, "About Hoosiers in New York" Indianapolis Star (July 2, 1911): 46. via Newspapers.com
  5. ^ "Creator of Carmen Title Role is Dead" Ogden Standard (February 20, 1914): 2. via Newspapers.com
  6. ^ a b "Scores and Opera Costumes of Zelda Seguin Wallace Burned" Indianapolis News (March 28, 1911): 12. via Newspapers.com
  7. ^ Elizabeth Cady Stanton, Susan B. Anthony, Matilda Joslyn Gage, Ida Husted Harper, eds., History of Woman Suffrage: 1876–1885 (Fowler & Wells, 1886): 541.
  8. ^ Untitled item, The Eastern Star (April 1894): 168.
  9. ^ "Woman and Home" Aurora Daily Express (September 17, 1883).
  10. ^ "Victims of the Vandalia Wreck" The New York Times (January 30, 1895).
  11. ^ "A Jump, A Jolt, and Death" Cincinnati Enquirer (January 29, 1895): 1. via Newspapers.com
  12. ^ "Her Injuries Permanent" Marquette Tribune (November 1, 1895): 2. via Newspapers.com
  13. ^ "Wants $50,000 Damages" Brooklyn Daily Eagle (October 27, 1895): 1. via Newspapers.com
  14. ^ Untitled item, Cincinnati Enquirer (September 1, 1918): 7. via Newspapers.com
  15. ^ "Death of Mrs. Zelda Seguin-Wallace" The Tribune (February 20, 1914): 6. via Newspapers.com
  16. ^ "Zelda Harrison Seguin Wallace" General Lew Wallace Study & Museum (June 25, 2012).



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