ジョヴァンニ・カルノヴァリとは? わかりやすく解説

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ジョヴァンニ・カルノヴァリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/04 16:31 UTC 版)

ジョヴァンニ・カルノヴァリ
Giovanni Carnovali
自画像(1840年代後半)
生誕 1804年9月29日
イタリア、モンテグリーノ・ヴァルトラヴァーリア
死没 1873年7月5日
イタリア、クレモナ
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ジョヴァンニ・カルノヴァリ(Giovanni Carnovali、1804年9月29日 - 1873年7月5日)はイタリアの画家である。イル・ピッチョ(Il Piccio)の仇名でも知られる。

略歴

現在のロンバルディア州ヴァレーゼ県モンテグリーノ・ヴァルトラヴァーリアに生まれた。まだ11歳であった1815年にベルガモの美術学校アッカデミア・カッラーラに入学、校長のジュゼッペ・ディオッティイタリア語版英語版に学び、すぐに才能を認められた。当時のアカデミック絵画の主流であった新古典主義から離れるようになり、16世紀のイタリア絵画の伝統に従う肖像画を描くようになった。

美術学校の展覧会に出展し、1826年から宗教画などの依頼を受けるようになった。1820年代後半に修行の旅に出て、1831年にローマで働き、パルマでも働いた。1838年にミラノに移り、ブレラ美術アカデミーの展覧会に出展した。この頃、トランクイッロ・クレモナを弟子にしたとされる。15世紀の画家コレッジョ、ミラノで働いた画家アンドレア・アッピアーニおよび当時のフランス美術の影響も受けたとされ、あいまいな輪郭を特徴とするスタイルで描くようになった。1843年に再びローマを旅し、1845年にはナポリパリを旅したとの記録もある。

クレモナで歿した。

作品

参考文献

  • V. Bignami, La pittura lombarda del sec. XIX, 1900 ;
  • AA.VV., Catalogo dell'esposizione postuma delle opere di G. Carnovali, 1909 ;
  • C. Carrà, Pittori romantici lombardi, 1932 ;
  • Ciro Caversazzi, G. Carnovali, 1933 ;
  • P. D'Ancona, Le vie d'ltalia, 1948 ;
  • M. Valsecchi, Cat. della Mostra di G. Carnovali, detto il Piccio, 1952 ;
  • N. Zucchelli, A. Locatelli Milesi, Cat. della mostra del Piccio, 1954 ;
  • M. Valsecchi, F. Rossi e B. Lorenzelli, Il Piccio, 1974 ;
  • R. Barilli,Il secondo '800 italiano, 1988.



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