ジョン・ホリス (初代ニューカッスル公爵)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジョン・ホリス (初代ニューカッスル公爵)の意味・解説 

ジョン・ホリス (初代ニューカッスル公爵)

(ジョン・ホールズ_(初代ニューカッスル公) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 02:53 UTC 版)

1690年の肖像画

初代ニューカッスル=アポン=タイン公爵ジョン・ホリス[1]英語: John Holles, 1st Duke of Newcastle-upon-Tyne KG PC1662年1月9日1711年7月15日)は、イギリスの貴族。1666年から1689年までホートン卿儀礼称号を使用した。

生涯

第3代クレア伯爵ギルバート・ホリスとグレース・ピアポント(Grace Pierrepontウィリアム・ピアポント英語版の娘)の長男として、1662年1月9日にエドウィンストー英語版で生まれ、16日に洗礼を受けた[2]

姉エリザベスが1676年に初代バーナード男爵クリストファー・ヴェインと結婚すると、ジョン・ホリスは一時2人を嫌ったという[3]

1689年イングランド総選挙において、1689年1月14日にノッティンガムシャー選挙区英語版で当選したが[4]、父が1689年1月16日に死去したため、クレア伯爵の爵位を継承することとなり[2]、庶民院に登院することはなかった。同1689年より寝室侍従英語版ミドルセックス統監英語版ミドルセックス首席治安判事英語版(1689年7月9日任命[5])を務めた[2]。その後、1691年に妻の父である第2代ニューカッスル=アポン=タイン公爵ヘンリー・キャヴェンディッシュが死去するとその遺産を継承したが、公爵への叙爵を拒否されたためほとんどの役職から辞任した[4]

1694年に第3代ホリス男爵デンジル・ホリスの遺産を継承すると、年収入が4万ポンドに上り[4]、1694年5月14日、クレア侯爵およびニューカッスル公爵に叙されることとなった[2]。政治での野心はないものの、影響力は大きく、1705年時点の庶民院では10議席を掌握していた[4]。また、叙爵以降は官職への就任を再開、1694年8月16日から1711年7月15日までノッティンガムシャー統監英語版ノッティンガムシャー首席治安判事英語版[5]、1699年から1711年までイースト・ライディング・オブ・ヨークシャー首席治安判事英語版キングストン=アポン=ハル総督英語版を、1705年から1711年までノース・ライディング・オブ・ヨークシャー統監英語版王璽尚書を、1711年に北トレント巡回裁判官英語版を務め、1698年5月30日にガーター勲章を授与され、1705年3月29日にイングランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命された[4]。1706年にスコットランドとの合同交渉が行われたとき、イングランド代表の1人を務めた[4]

1710年、ケンブリッジシャーのウィンポール・パーク(Wimpole Park)とメリルボーン館(Manor of Marylebone)を購入した。メリルボーンの領地は娘婿の第2代オックスフォード=モーティマー伯爵エドワード・ハーレーに渡り、ハーレーはメリルボーンホリス・ストリート英語版という通りを命名してニューカッスル公爵を記念した[6]

1711年、ウェルベック英語版での狩猟中に落馬事故を起こし、そのときの怪我がもとで死去した[7]。遺言状でキャヴェンディッシュの領地を娘婿に渡し、残りは甥のトマス・ペラム(後の初代ニューカッスル公爵、イギリス首相)が継承した[4]

家族

1690年3月1日[4]マーガレット・キャヴェンディッシュ英語版(1661年 – 1716年、第2代ニューカッスル=アポン=タイン公爵ヘンリー・キャヴェンディッシュの娘)と結婚[2]、1女を儲けた[4]

脚注

  1. ^ "ニューカスル公". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2020年12月21日閲覧
  2. ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 24.
  3. ^ Mounsey, Chris. Christopher Smart: Clown of God. London: Bucknell University Press, 2001. p. 23
  4. ^ a b c d e f g h i Edwards, E. R. (1983). "HOLLES, John, Lord Houghton (1662-1711), of Haughton, Notts. and Warwick House, Holborn, Mdx.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月22日閲覧
  5. ^ a b Sainty, John Christopher (November 2002). "Custodes Rotulorum 1660-1828". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月13日閲覧
  6. ^ Bebbington, Gillian. (1972) London Street Names. London: B.T. Batsford. pp. 164, 176. ISBN 0713401400
  7. ^ Abel Boyer. The history of the reign of Queen Anne (英語). Vol. 10. p. 381.

外部リンク

イングランド議会 (en
先代
サー・ウィリアム・クリフトン準男爵英語版
リーザン・メリッシュ
庶民院議員(ノッティンガムシャー選挙区英語版選出)
1689年
同職:スクロープ・ハウ
次代
スクロープ・ハウ
ジョン・ホワイト英語版
軍職
先代
カーマーゼン侯爵
キングストン=アポン=ハル総督英語版
1699年 – 1711年
次代
リチャード・サットン英語版
司法職
先代
デヴォンシャー公爵
巡回裁判官英語版
北トレント

1711年
次代
リーズ公爵
名誉職
先代
クレイヴェン伯爵英語版
ミドルセックス統監英語版
1689年 – 1692年
次代
ベッドフォード伯爵
ミドルセックス首席治安判事英語版
1689年 – 1692年
先代
デヴォンシャー公爵
ノッティンガムシャー統監英語版
1694年 – 1711年
空位
次代の在位者
クレア伯爵
空位
最後の在位者
キングストン=アポン=ハル伯爵
ノッティンガムシャー首席治安判事英語版
1694年 – 1711年
先代
リーズ公爵
イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー統監英語版
1699年 – 1711年
空位
次代の在位者
カーマーゼン侯爵
イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー首席治安判事英語版
1699年 – 1711年
次代
カーマーゼン侯爵
先代
バッキンガム=ノーマンビー公爵
ノース・ライディング・オブ・ヨークシャー統監英語版
1705年 – 1711年
次代
バッキンガム=ノーマンビー公爵
公職
先代
バッキンガム=ノーマンビー公爵
王璽尚書
1705年 – 1711年
次代
ジョン・ロビンソン英語版
イングランドの爵位
爵位創設 ニューカッスル=アポン=タイン公爵
第2期
1694年 – 1711年
廃絶
先代
ギルバート・ホリス
クレア伯爵
1689年 – 1711年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ジョン・ホリス (初代ニューカッスル公爵)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジョン・ホリス (初代ニューカッスル公爵)」の関連用語

ジョン・ホリス (初代ニューカッスル公爵)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジョン・ホリス (初代ニューカッスル公爵)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジョン・ホリス (初代ニューカッスル公爵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS