ジョフロワ_(ウー伯)とは? わかりやすく解説

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ジョフロワ (ウー伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/15 01:11 UTC 版)

ジョフロワ・ド・ブリオンヌ
Geoffroi de Brionne
ウー伯
ブリオンヌ伯
在位 996年 - 1015年

出生 10世紀半ば
ノルマンディー公国、ブリオンヌ
死去 1015年
ノルマンディー公国、ブリオンヌ
子女 ジルベール
家名 ノルマンディー家/クレア家
父親 ノルマンディー公リシャール1世
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ジョフロワ・ド・ブリオンヌフランス語:Geoffroi de Brionne, 10世紀半ば - 1015年)は、ウー伯およびブリオンヌ伯[注釈 1](在位:996年 - 1015年)。

生涯

ジョフロワはノルマンディー公リシャール1世[1]と名前不明の愛妾との間の庶子である[注釈 2][6]。ウー伯領は、異母兄リシャール2世が弟たちにも名誉と称号を与えるという方針のもと、996年にジョフロワのために創設されたアパナージュであった[6]。ウーの要塞はノルマンディー防衛にきわめて重要な役割を果たした[7]。ウーの城と城壁はブレル川沿いに建てられ、イギリス海峡からちょうど2マイルの距離にあった。それは長い間イギリスの乗船地点となっており、戦時にはしばしば最初に攻撃された場所の1つであった[7]

ブリオンヌの城は歴代ノルマンディー公の居城の一つであったためにノルマンディー公が保持していたが、リシャール2世はブリオンヌの城も異母弟のジョフロワに与えた[注釈 3]。ジョフロワはこの城を生涯領有し息子ジルベールに継承させ、ジルベールが暗殺させた後に再びノルマンディー公のもとに戻された[8]

ジョフロワと息子ジルベールはどちらも、リシャール2世によって与えられたリジューの特許状で伯爵とされていたが、その称号は領土とは結び付けられていなかった[9]。ジョフロワは1015年ごろに死去した[10]

子女

ジョフロワの妻の名は不明である。1男をもうけた。

ジョフロワの死後、息子ジルベールがウー伯位およびブリオンヌ伯位を継承した。

注釈

  1. ^ ジョフロワがウー伯であったことは疑いないが、ジョフロワがブリオンヌの「伯爵」であったかどうかは議論の余地がある。Douglas, Earliest Norman Counts, EHS 61, No. 240 (1946), p.134. を参照。
  2. ^ 初期のノルマンディー人はmos danicusといわれるヴァイキングの結婚の慣習に従っており、それが合法的な結婚の形と考えていた[2]。しかしそれはカトリック教会では内縁関係と同じであると考えられていた[3]。合法性はこの時代では問題とはならなかった[4][5]
  3. ^ オーデリック・ヴィタリスはMullent伯ロジェによるノルマンディー公リシャール2世に対する会話の中でブリオンヌ城について尋ねた時、ジョフロワにブリオンヌ城を与えたのはリシャール1世であると述べた。Ordericus Vitalis, Ecclesiastical History, Trans. Forester, Vol. II (1854), p. 490. を参照。

脚注

  1. ^ Round 1899, pp. 223–4.
  2. ^ Reynolds 2001, p. 110
  3. ^ Crouch 2007, p. 24
  4. ^ Stenton 1971, p. 555
  5. ^ Crouch 2007, p. 60
  6. ^ a b Waters 1886, p. 262.
  7. ^ a b Waters 1886, p. 261.
  8. ^ The Gesta Normannorum Ducum of William of Jumieges, Orderic Vitalis, and Robert of Torigni 1995, pp. 228-9
  9. ^ Douglas 1946, p. 134.
  10. ^ Waters 1886, p. 257.

参考文献

  • J.H. Round, The Family of Clare, The Archaeological Journal, Vol. LVI, Second Series Vol. VI, (1899)
  • Philip Lyndon Reynolds, Marriage in the Western Church: The Christianization of Marriage During the Patristic and Early Medieval Periods (Boston: Brill, 2001)
  • David Crouch, The Normans: The History of a Dynasty (London: Hambledon Continuum, 2007)
  • Frank Stenton, Anglo-Saxon England (Oxford: Oxford University Press, 1971)
  • Edmund Chester Waters, The Counts of Eu, Sometime Lords of the Honour of Tickhill, The Yorkshire Archaeological and Topographical Journal, No. 9 (1886)
  • The Gesta Normannorum Ducum of William of Jumieges, Orderic Vitalis, and Robert of Torigni, Vol. II, Ed. & Trans. Elizabeth M.C. Van Houts (Clarendon Press, Oxford, 1995)
  • David Douglas, The Earliest Norman Counts, The English Historical Review, Vol. 61, No. 240 (May, 1946)
  • Edmund Chester Waters, The Counts of Eu, Sometime Lords of the Honour of Tickhill, The Yorkshire Archaeological and Topographical Journal, No. 9 (1886)
先代
ウー伯
996年 - 1015年
次代
ジルベール



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