ジャン1世_(ラ・マルシュ伯)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジャン1世_(ラ・マルシュ伯)の意味・解説 

ジャン1世 (ラ・マルシュ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 07:20 UTC 版)

ジャン1世
Jean I
ラ・マルシュ伯
在位 1362年 - 1393年

出生 1344年
死去 1393年6月11日
フランス王国ヴァンドーム
埋葬 フランス王国ヴァンドーム、聖ジョルジュ協同教会
配偶者 ヴァンドーム女伯カトリーヌ
子女 本文参照
家名 ブルボン家
父親 ラ・マルシュ伯ジャック1世
母親 ジャンヌ・ド・シャティヨン
テンプレートを表示
ジャン1世の紋章

ジャン1世・ド・ブルボンフランス語:Jean I de Bourbon, 1344年 - 1393年6月11日)は、ラ・マルシュ伯ジャック1世とジャンヌ・ド・シャティヨンの次男[1]。ラ・マルシュ伯(在位:1362年 - 1393年)。

生涯

ジャン1世はポワティエの戦いにおいて捕らわれ、身代金を要求された。1362年、父の死後まもなく兄ピエール2世もブリニェの戦いで戦死し、ジャン1世がラ・マルシュ伯位を継承した。

ジャン1世は百年戦争において大きな役割を果たし、リムーザンをイングランドより取り戻した後に同地の総督となった。また、1366年にベルトラン・デュ・ゲクランカスティーリャ遠征に参加した。1374年に義兄ヴァンドーム伯ブシャール7世が死去し、ジャン1世は妻の権利によりヴァンドーム伯およびカストル伯となった。

ジャン1世は1382年に行われたフランス王シャルル6世フランドル遠征(ローゼベーケの戦いで終わる)に参加し、1392年にブルターニュで戦った。

ジャン1世はヴァンドーム城およびラヴァルダン城を再建した。

結婚と子女

1364年9月28日、ジャン1世はヴァンドーム伯ジャン6世の娘でヴァンドーム女伯カトリーヌ(1412年没)と結婚した[2]

脚注

  1. ^ a b c Potter 1995, p. 376.
  2. ^ Famiglietti 1992, p. 302.

参考文献

  • Famiglietti, R. C. (1992). Tales of the Marriage Bed from Medieval France (1300-1500). Picardy Press 
  • Potter, David (1995). Keen, Maurice. ed. A History of France, 1460–1560: The Emergence of a Nation State. Macmillan 
先代
ピエール2世
ラ・マルシュ伯
1362年 - 1393年
次代
ジャック2世
先代
ブシャール7世
ヴァンドーム伯
1374年 - 1393年
(カトリーヌと共治)
次代
ルイ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ジャン1世_(ラ・マルシュ伯)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジャン1世_(ラ・マルシュ伯)」の関連用語

ジャン1世_(ラ・マルシュ伯)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジャン1世_(ラ・マルシュ伯)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジャン1世 (ラ・マルシュ伯) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS