ジャンヌ・ド・バルとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジャンヌ・ド・バルの意味・解説 

ジャンヌ・ド・バル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/10 07:26 UTC 版)

ジャンヌ・ド・バル
Jeanne de Bar

出生 1295年ごろ
バル伯領
死去 1361年8月31日
イングランド王国ロンドン
配偶者 7代サリー伯ジョン・ド・ワーレン英語版
家名 スカルポン家
父親 バル伯アンリ3世
母親 エリナー・オブ・イングランド
役職 バル伯領摂政(1345年 - 1353年)
テンプレートを表示

ジャンヌ・ド・バルフランス語:Jeanne de Bar, 1295年ごろ - 1361年8月31日)は、フランス出身の貴族の女性で、7代サリー伯ジョン・ド・ワーレン英語版と結婚したが、その結婚生活は不幸なものであった。また、1345年から1353年までバル伯領の摂政をつとめた。

生涯

ジャンヌは夫から見捨てられコニスボロー城に住んでいた。

ジャンヌはバル伯アンリ3世エリナー・オブ・イングランドの娘で[1]イングランド王エドワード2世の姪にあたる。

1306年5月25日、ジャンヌはイングランドの有力貴族であった7代サリー伯ジョン・ド・ワーレン英語版と結婚したが[2]、夫ジョンは「罪を償う資質がほとんどない厄介で残忍な男」であった。ジャンヌはワーレン家の領地であったコニスボロー城およびサンダル城に住み、ジャンヌを嫌う夫に見捨てられ、夫は1313年より[3]ジャンヌと離婚しようとしていた[2]。イングランドにおいてジャンヌは叔父エドワード2世の妃でほぼ同い年であったイザベラ・オブ・フランスと親しく、宮廷でともに過ごしていた[4]。また、ジャンヌはおそらく母方の従姉妹エリザベス・ド・クレア英語版とも親しく、エリザベスは遺言でジャンヌに洗礼者ヨハネの像を遺した。

4年間の不幸な結婚生活の後、夫サリー伯ジョンは1313年に自身とジャンヌは三親等および四親等の関係にあり[2]、ジャンヌとの結婚の前に長年の愛人でありジョンとの間に子供が生まれていたモード・オブ・ネルフォードと「婚前契約」を結んでいたため、ジャンヌとの結婚は無効であると主張した。しかしこのジョンの主張にもかかわらず、離婚は認められなかった。

1345年、ジャンヌはフランス王フィリップ6世に招かれ、大甥バル伯ロベール1世の摂政となった。

1353年、ジャンヌはイングランドに戻った。フランス王ジャン2世が捕えられロンドンで監禁されていたとき、ジャンヌはジャン2世のもとを訪れることを許され、ジャン2世の愛妾となったという。

ジャンヌは1361年にロンドンで死去した。

脚注

  1. ^ Ward 2013, p. 23.
  2. ^ a b c Ward 2013, p. 32.
  3. ^ Phillips 1972, p. 114.
  4. ^ Earenfight 2018, p. 174.

参考文献

  • Earenfight, Theresa, ed (2018). Royal and Elite Households in Medieval and Early Modern Europe. Brill 
  • Ward, Jennifer (2013). English Noblewomen in the Later Middle Ages. Routledge 
  • Phillips, J. R. S. (1972). Aymer de Valence, Earl of Pembroke, 1307-1324: Baronial Politics in the Reign of Edward II. Oxford University Press. p. 114 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ジャンヌ・ド・バルのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

ジャンヌ・ド・バルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジャンヌ・ド・バルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジャンヌ・ド・バル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS