ジェイ・ジョンソン・モロウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:33 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ジェイ・ジョンソン・モロウ(Jay Johnson Morrow、1870年2月20日 - 1937年4月16日)、アメリカ合衆国の軍人、技術者である。
1891年にウェストポイントにある陸軍士官学校を卒業し、陸軍工兵隊に配属される。1901年から1902年にフィリピンのサンボアンガ州(後にサンボアンガ・デル・ノルテ州、サンボアンガ・デル・スル州、サンボアンガ・シブガイ州に分割されている)の軍政総督を務め、1907年から1909年にかけてコロンビア特別区の技術委員を務めた。1916年から1917年までパナマ運河の保守管理担当者であったが、第一次世界大戦勃発によりフランスに派遣され、アメリカ陸軍第1軍のチーフ・エンジニアとなった。1919年6月にパナマ運河の保守管理の職に戻り、前任のチェスター・ハーディング大佐が辞任すると、ウォレン・ハーディング大統領の命により、1921年3月から1924年にかけてパナマ運河地帯の総督を務めた。1937年に死去すると、彼の遺灰はパナマ運河へと注ぎ込むチャグレス川にまかれた。
外部リンク
先代: チェスター・ハーディング |
パナマ運河地帯総督 1921年 - 1924年 |
次代: メリウェザー・ルイス・ウォーカー |
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の技術者 |
ルドルフ・コンフナー アマー・G・ボーズ ジェイ・ジョンソン・モロウ ビル・ディラップ ロバート・ズブリン |
アメリカ陸軍の軍人 |
ジェームス・B・ランパート ウィリアム・ミッチェル ジェイ・ジョンソン・モロウ スパーク・マツナガ ケネス・クレイボーン・ロイヤル |
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