シャルロット・ダラゴンとは? わかりやすく解説

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シャルロット・ダラゴン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/24 14:27 UTC 版)

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シャルロット・ダラゴン=ナプル
Charlotte d'Aragon-Naples

出生 1479/80年
死去 1506年
配偶者 ラヴァル伯ギー16世
子女 フランソワ
カトリーヌ
アンヌ
家名 トラスタマラ家
父親 ナポリ王フェデリーコ1世
母親 アンナ・ディ・サヴォイア
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シャルロット・ダラゴン=ナプルCharlotte d'Aragon-Naples, 1479/80年 - 1506年)は、ナポリ王国の王女で、フランスで生涯を送った。

生涯

ナポリ王フェデリーコ1世と最初の妻でサヴォイア公アメデーオ9世の娘であるアンナの間の一人娘。誕生と同時に母を亡くすと、母の祖父がフランス王シャルル7世だった縁でフランス宮廷で養育された。1499年、従姉のサヴォイア公夫人ヨランダの死に伴い、名目上のエルサレム王位請求権を受け継いだ。

成長すると多くの求婚者が現れ、その中にはヴァランティノワ公チェーザレ・ボルジアもいたが[1]、いずれも拒絶した。1500年6月10日、ブルターニュ公国の大領主の1人ラヴァル伯ギー16世と結婚した[1]。シャルロットは夫との間に3人の子を産んだ後、早世した。

1501年、父フェデリーコ1世は同族のアラゴン王フェルナンド2世にナポリ王位を奪われ、亡命先のフランスで死去した。その息子で後継者のカラブリア公フェルディナンドが1550年に死去した後、次女アンヌの子孫はカラブリアが主張しなかったものの[2]潜在的に有していたはずのナポリ王位(及びエルサレム王位)請求権を引き継いだと主張し[3]、ナポリ王位継承者が帯びるターラント公の称号を名乗った[3]

子孫

彼女の子孫は以下の通り。

引用・脚注

  1. ^ a b c d e Walsby 2007, p. 185.
  2. ^ "Kingdom of Naples". Encyclopædia Britannica Eleventh Edition. 1911.
  3. ^ a b Père Anselme (1967) [1728]. “Des Pairs de France - Thouars: Généalogie de la Maison de La Tremoille” (French). Histoire Genealogique et Chronologique de la Maison Royale de France, des Pairs, Grands Officiers de la Couronne. Paris: Compagnie des Libraires. pp. 169 

参考文献

  • Walsby, Malcolm (2007). The Counts of Laval. Ashgate Publishing Company. ISBN 9780754658115 



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