コロンバス・バックアイズとは? わかりやすく解説

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コロンバス・バックアイズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/24 02:15 UTC 版)

1884年

コロンバス・バックアイズColumbus Buckeyes)は、1883年から1884年にかけて、アメリカ合衆国オハイオ州コロンバスを本拠地としてアメリカン・アソシエーションに加盟していたプロ野球チーム。

球団史

球団の正式な愛称は「コロンバス・セネタース(Columbus Senators)」だったそうだが、オハイオ州出身者や住民のことを示す"Buckeyes"(バックアイズ)の愛称が定着した。1883年に設立されアメリカン・アソシエーションに加盟、監督はホーレス・フィリップスが勤めていた。

1年目のバックアイズは、前の年に解散したウースター球団から移籍した投手フランク・マウンテンをエースにたてたが、マウンテンはこの年リーグ最多の33敗を喫しチームの勝率は3割台にとどまった。しかし翌1884年、後に「キャノンボール」のニックネームで呼ばれた豪腕投手エド・モリスがデビューする。モリスは1年目から34勝13敗、防御率2.18の成績を上げる。フランク・マウンテンもこの年は23勝17敗と復調、チームはリーグ2位まで躍進した。モリスとマウンテンは、同年5月と6月におよそ1週間違いでノーヒットノーランをそれぞれ達成している。

しかし球団は運営が苦しかったためか、アメリカン・アソシエーションには2年しか加盟せず、1884年のシーズン終了後に主力選手を放出して解散してしまった。放出された選手を受け入れたのは、1年目の監督だったフィリップスが指揮していたピッツバーグ・アレゲニーズであった。

戦績

年度 リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 監督 本拠地
1883年 AA 97 32 65 .330 6位 ホーレス・フィリップス Recreation Park I
1884年 110 69 39 .639 2位 ガス・シュメルツ

所属した主な選手

  • トム・ブラウン:1891年にリーグ最多安打、最多得点、最多盗塁を記録した。
  • ポップ・スミス:カナダ出身の内野手で、後年カナダ野球殿堂入り。
  • フランク・マウンテン:投手。通算58勝83敗。コロンバスで無安打試合を達成した。
  • エド・モリス:1884年に34勝と無安打試合を達成。

主な球団記録

打撃記録
  • 通算安打数:238(トム・ブラウン)
  • 通算本塁打:10(トム・ブラウン、ポップ・スミス)
  • 通算打点数:64(トム・ブラウン)
投手記録
  • 通算勝利数:49(フランク・マウンテン)
  • 通算奪三振:315(フランク・マウンテン)
  • 無安打試合:

出典・外部リンク




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