コスタス・コンスタンティニディスとは? わかりやすく解説

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コスタス・コンスタンティニディス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 22:00 UTC 版)

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コスタス・コンスタンティニディス
名前
本名 コンスタンティノス・コンスタンティニディス
ラテン文字 Kostas Konstantinidis
ギリシャ語 Κώστας Κωνσταντινίδης
基本情報
国籍 ギリシャ
ドイツ
生年月日 (1972-08-31) 1972年8月31日(49歳)
出身地 ショルンドルフ
身長 187cm
体重 81kg
選手情報
ポジション DF(CB)
利き足 右足
ユース
1979-1983 ショルンドルフ
1983-1985 シュトゥットガルト
1985-1991 オモニア・シンドス・テッサロニキ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1994 ピエリコス 84 (5)
1994-1997 OFIクレタ 65 (7)
1997-1999 パナシナイコス 60 (7)
1999-2002 ヘルタ・ベルリン 48 (2)
2002 ボルトン・ワンダラーズ(loan) 3 (0)
2002-2004 ハノーファー 43 (3)
2004-2005 ケルン 14 (1)
2006-2007 OFIクレタ 35 (1)
2007-2008 ネア・サラミス・ファマグスタ 6 (0)
代表歴
1995-2003  ギリシャ 38 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

コンスタンティノス・コンスタンティニディスギリシア語: Κωνσταντίνος Κωνσταντινίδης1972年8月31日 - )は、ギリシャドイツの元サッカー選手、サッカー指導者。元ギリシャ代表。選手時代のポジションはDF

クラブ歴

西ドイツショルンドルフ生まれ。VfBシュトゥットガルトの下部組織に在籍したが、その後ギリシャに亘った。1991年にSFKピエリコスで選手となり、OFIクレタパナシナイコスFCと移籍した。

1999年にブンデスリーガヘルタ・ベルリンに加入。DFLリーガポカールのタイトルを得た。2002年3月にプレミアリーグボルトン・ワンダラーズFCに期限付き移籍したが[1]、2試合目で退場し合計3試合の出場に止まった[2]。その後ハノーファー961.FCケルンに在籍した。

2006年にOFIクレタに復帰、翌年にネア・サラミス・ファマグスタFCに移籍し2008年に引退した。

代表歴

1995年9月20日のユーゴスラヴィア連邦共和国代表との親善試合で代表初出場。1997年9月6日のスロベニア代表戦で代表唯一の得点を決めた。2003年4月2日の北アイルランド代表戦が代表最後の試合となった。

指導歴

2009年3月10日に同年夏からのシュコダ・クサンティFCのコーチに就任が発表された。後にスカウト長となった。

2019年8月にギリシャ代表のテクニカルディレクターに就任。

参考文献

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