ケルン市立東洋美術館とは? わかりやすく解説

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ケルン市立東洋美術館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 22:55 UTC 版)

ケルン市立東洋美術館
Museum für Ostasiatische Kunst
概要
住所 Universitätsstrasse 100
自治体 ケルン
ドイツ
座標 北緯50度56分06秒 東経6度55分32秒 / 北緯50.935009度 東経6.925466度 / 50.935009; 6.925466座標: 北緯50度56分06秒 東経6度55分32秒 / 北緯50.935009度 東経6.925466度 / 50.935009; 6.925466
開業 1913
設計・建設
建築家 前川國男
ウェブサイト
公式サイト
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ケルン市立東洋美術館 (ケルンしりつとうようびじゅつかん、ドイツ語: Museum für Ostasiatische Kunst Köln) は、ドイツケルンにある東アジア美術を専門とする美術館である。

1909年に設立、1913年10月25日に開館した。同種の美術館としてはドイツ国内で最も古い[1]。コレクションは主に中国、韓国、日本の美術で構成されており、これらは創設者のアドルフ・フィッシャーAdolf Fischer、1856-1914)と妻のフリーダ(Frieda、1874-1945)が収集した、仏教彫刻および約1400点の浮世絵[2]を主とするコレクションを基にしている。フィッシャーは1892年に世界旅行中に初めて日本を訪れ、その後も数回にわたって日本を訪れた。

当初、フィッシャーは東洋美術館設立の交渉をキールと進めていたが、キールには美術館設立への財政的援助が十分にできないと判明したため契約を破棄し、改めてケルンと契約した[3]

最初の建物は建築家ヨーゼフ・ブランツキーの設計による[3]。現在の建物はル・コルビュジエの弟子であった建築家・前川國男の設計で1977年に建てられた[1]

1997年から1998年にかけて、東武美術館・福岡市博物館山形美術館により、ケルン市立東洋美術館の所蔵する日本・中国・朝鮮の美術品の展覧会「ケルン東洋美術館展」が開催された[3]

脚注

  1. ^ a b Museum of East Asian Art”. 2023年1月2日閲覧。
  2. ^ “海外事情/最近の欧文による浮世絵研究文献 連載[二十二]”. 浮世絵芸術 177: 46–50. (2019). doi:10.34542/ukiyoeart.1791. https://www.jstage.jst.go.jp/article/ukiyoeart/177/0/177_1791/_article/-char/ja/. 
  3. ^ a b c 髙澤廣行 (2021). “アドルフ・フィッシャーの東洋美術観 : ケルン東洋美術館に見る近代ヨーロッパにおける日本美術受容の一例”. 国際日本研究 13: 39-52. 

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