グウォグフ公コンラト1世との関係(1262年 - 1271年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/22 08:47 UTC 版)
「ボレスワフ2世ロガトカ」の記事における「グウォグフ公コンラト1世との関係(1262年 - 1271年)」の解説
ボレスワフ2世はヘンリク3世が死ぬまで友好関係を維持したが、その下の弟で反抗的かつ頑固な性格のグウォグフ公コンラト1世とは敵対的な関係のままだった。史料不足のせいで、2人の争いは2回ほどしか判明しない。1257年、コンラト1世はボレスワフ2世をレグニツァの居城から誘拐した。ボレスワフ2世は数ヵ月後に保釈金を支払い解放されたが、いくら保釈金を支払ったのかは判らない。こうした出来事がボレスワフ2世にとって不愉快きわまりないものだったことは間違いないが、1271年、ボレスワフ2世はコンラト1世の領地だったブブル近郊のボレスワヴィエツを奪っている。
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