クレマンティーヌ・ド・ベルジックとは? わかりやすく解説

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クレマンティーヌ・ド・ベルジック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 04:57 UTC 版)

クレマンティーヌ
Clémentine
サクス=コブール・エ・ゴータ家
1895年

全名 Clémentine Albertine Marie Léopoldine
クレマンティーヌ・アルベルティーヌ・マリー・レオポルディーヌ
称号 ナポレオン公妃
モンフォール公妃
出生 (1872-07-30) 1872年7月30日
ベルギーブリュッセル、ラーケン王宮
死去 (1955-03-08) 1955年3月8日(82歳没)
フランスニース
配偶者 ナポレオン・ヴィクトル・ボナパルト
子女 マリー=クロティルド
ルイ・ナポレオン
父親 レオポルド2世
母親 マリー=アンリエット・ドートリッシュ
宗教 キリスト教カトリック教会
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クレマンティーヌ・ド・ベルジックフランス語: Clémentine de Belgique, 1872年7月30日 - 1955年3月8日)は、ベルギー王レオポルド2世とその王妃マリー・アンリエットの間の末娘。フランスのボナパルティスト帝位請求者ナポレオン・ヴィクトル・ボナパルトと結婚した。

生涯

クレマンティーヌはレオポルド2世夫妻の末娘としてラーケン宮殿英語版に生まれた。両親は一人息子のブラバント公レオポルドを1869年に10歳で亡くしており、クレマンティーヌが生まれた後は男の世継ぎをもうけるのを諦めた。

クレマンティーヌは母親に育てられたが、マリー・アンリエット王妃は気難しくひどい母親で、クレマンティーヌは次姉のステファニーと親しんで育った。ステファニーが1881年にオーストリア皇太子ルドルフに嫁ぐと、クレマンティーヌはブリュッセル宮廷で孤独な少女時代を送った。クレマンティーヌは成人すると、父から母の許可なしでも好きな所へ行く権利を認められたが、1902年に母マリー・アンリエットが亡くなると、ベルギー王家のファーストレディとして父王を支える役目を負うことになった。

クレマンティーヌは叔父フランドル伯の長男で、いずれはベルギー王位を継ぐことが予定されていたボードゥアンと許嫁の関係であったが、ボードゥアンはクレマンティーヌの好意には応えないまま若くして他界した。その後、彼女は一時ベルギー宮廷に仕えるオーギュスト・ゴフィネ男爵と恋仲になるが、王女が下級貴族と結婚するのは無理な話だった。

1888年、クレマンティーヌは宮廷でナポレオン公ナポレオン・ヴィクトルと出会い、彼に魅了された。しかし父レオポルド2世は娘とボナパルト家当主の結婚を許さなかったため、父娘の間で諍いが起きた。この喧嘩と、父の2人の愛妾が宮中に出入りしていたこともあって、レオポルド2世とクレマンティーヌはあまり口をきかなくなった。クレマンティーヌはその後も何度も父王に結婚の許しを求めたが、レオポルド2世は結婚を許そうとせず、勘当してやると脅しをかけた。クレマンティーヌとナポレオン公はレオポルド2世が死ぬまで結婚を待たねばならなかった。

1909年にレオポルド2世が死ぬと、クレマンティーヌは新王となった従弟アルベール1世から結婚の許しをもらい、翌1910年にナポレオン公とモンカリエーリで結婚した。1955年、クレマンティーヌはニースで亡くなった。

子女

  • マリー=クロティルド英語版(1912年 - 1996年) - 1938年、セルジュ・ド・ウィット伯爵と結婚
  • ルイ・ナポレオン(1914年 - 1997年) - ナポレオン公




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