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クリフ・ジョーンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 15:11 UTC 版)

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クリフ・ジョーンズ
2010年
名前
本名 クリフォード・ウィリアム・ジョーンズ
Clifford William Jones
愛称 Cliff
ラテン文字 Cliff Jones
基本情報
国籍 ウェールズ
生年月日 (1935-02-07) 1935年2月7日(86歳)
出身地 スウォンジー
身長 170cm
選手情報
ポジション FW(WG)
利き足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1952-1958 スウォンジー 168 (47)
1958-1968 トッテナム 318 (135)
1968-1970 フラム 25 (2)
1970-1971 キングス・リン
1971 ベッドフォード
代表歴2
1954-1969 ウェールズ 59 (16)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年11月3日現在。
2. 2020年11月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クリフォード・"クリフ"・ウィリアム・ジョーンズ(Clifford "Cliff" William Jones、1935年2月7日 - )は、ウェールズスウォンジー出身の元サッカー選手。ポジションはウィンガー。

経歴

クラブ経歴

1952年、17歳のときに地元のチームであるスウォンジー・シティAFCと契約。兄のブリン・ジョーンズと共にチームの主力選手として活躍し、公式戦通算193試合に出場、54得点を記録した。

1958年2月にトッテナム・ホットスパーFCに当時のクラブレコードとなる3万5000ポンドの移籍金で加入した。移籍してすぐは満足のいくパフォーマンスを見せられず、怪我で離脱も経験したが、1958年12月に復帰してからはビル・ニコルソンの下でチームの中心選手として活躍。1959-60シーズンはリーグ全試合に出場すると25ゴールを決める活躍を見せた。

1960-61シーズンにはボビー・スミスレス・アレンに次ぐ19ゴールを記録し、リーグ優勝、FAカップ優勝のダブル達成に貢献。1962年のFAカップ連覇にも貢献。同年、ユヴェントスFCから当時の世界記録となる12万5000ポンドの移籍金でオファーが舞い込んだが、クラブはこのオファーを断った。その後、1962-63シーズンのUEFAカップウィナーズカップ制覇、1966-67シーズンのFAカップ優勝に貢献した。

トッテナムでは通算378試合に出場し、159ゴールを記録した。この記録は2019年1月にハリー・ケインに抜かれるまで、ジミー・グリーブスボビー・スミスマーティン・チバースに次ぎ歴代4位の記録だった。

代表経歴

1954年からサッカーウェールズ代表に選出。1958 FIFAワールドカップ予選の大陸間プレーオフでゴールを決める活躍を見せ、ウェールズのワールドカップ本戦初出場に貢献した。本戦では5試合全試合に出場し、ベスト8進出に貢献した。

家族

父のアイヴァー・ジョーンズもサッカー選手の他、叔父のショニ、エムリン、ブリン、バートもサッカー選手。また兄のブリン、従弟のケンもサッカー選手というサッカー家系の出身である。

孫のスコット・ニールソンも元サッカー選手。同じく孫のマット・ウェルズはフラムFCのコーチを務めている。

タイトル

トッテナム

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