クィントゥス・マルキウス・トレムルスとは? わかりやすく解説

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クィントゥス・マルキウス・トレムルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/04 18:00 UTC 版)

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クィントゥス・マルキウス・トレムルス
Quintus Marcius Tremulus
(Q. Marcius Q .f. Q. n. Tremulus)
出生 不明
死没 不明
出身階級 プレブス
氏族 マルキウス氏族
官職 執政官(紀元前306年、288年])
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クィントゥス・マルキウス・トレムルスラテン語: Quintus Marcius Tremulus、生没年不詳)は紀元前4世紀から紀元前3世紀共和政ローマプレブス(平民)出身の政治家・軍人[1]執政官(コンスル)を二度務めた。

経歴

紀元前306年、クィントゥス・マルキウスはプブリウス・コルネリウス・アルウィナと共に執政官に就任した[2]

当時ヘルニキ族はアナグニア(現在のアナーニ)を中心に、アレトリウム(現在のアラトリ)、カピトゥルム(現在のピーリオ)、ウェルラエ(現在のヴェーロリ)、フェレンティヌム(現在のフェレンティーノ)といった都市が連合体(Confoederatio Hernica)を結び、宗教的・政治的な会合を開いていた。紀元前306年、ローマとヘルニキの同盟条約に違反したとの名目で、クィントゥス・マルキウスはアナグニアを攻撃してヘルニキ連合に容易に勝利し、連合を解体した。

また、ヘルニキから戻る途中、サムニウムと戦っていたプブリウス・コルネリウスを支援した。クィントゥス・マルキウスがサムニウムに到着すると、サムニウムは奇襲をかけてきたが、プブリウス・コルネリウスが救援に到着、両者は連合してサムニウムに勝利した。プブリウス・コルネリウスはそのままサムニウムに留まったが、クィントゥス・マルキウスはローマに戻り、ヘルニキとアナグニアに対する勝利を祝して凱旋式を実施した。さらにカストルとポルックス神殿の前で、エクィテス(騎士階級)の地位が与えられた[2]

紀元前288年には、同じプブリウス・コルネリウスとのコンビで、二度目の執政官に就任している。

参考資料

  1. ^ Smith, William. Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology v. 1, page 461 1, Boston: Little, Brown and Company, Vol. 3 p. 1171
  2. ^ a b ティトゥス・リウィウスローマ建国史』、IX, 43.

関連項目

公職
先代:
アッピウス・クラウディウス・カエクス V
ルキウス・ウォルムニウス・フランマ・ウィオレンス
執政官
同僚:プブリウス・コルネリウス・アルウィナ
紀元前306年
次代:
ルキウス・ポストゥミウス・メゲッルス
ティベリウス・ミヌキウス・アウグリヌス
先代:
マルクス・ウァレリウス・マクシムス・コッリヌス
クィントゥス・カエディキウス・ノクトゥア
執政官
同僚:プブリウス・コルネリウス・アルウィナ II
紀元前288年
次代:
マルクス・クラウディウス・マルケッルス
ガイウス・ナウティウス・ルティルス



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