カートルブリッジ鉄道事故とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > カートルブリッジ鉄道事故の意味・解説 

カートルブリッジ鉄道事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/05 03:30 UTC 版)

カートルブリッジ鉄道事故
Kirtlebridge rail crash
発生日 1872年10月2日
スコットランド
場所 カートルブリッジ英語版
路線 カレドニアン鉄道
原因 信号誤現示
統計
列車数 2本
死者 12人
テンプレートを表示

カートルブリッジ鉄道事故とはスコットランドダンフリーズ・アンド・ガロウェイカートルブリッジ駅英語版で発生した鉄道事故である。

事故の経過

1872年10月2日、1時間50分遅れで運行していたロンドン・ユーストン21時00分発の夜行のスコッチ・エクスプレスが7時50分にカーライル英語版を発車した。この列車は機関車2両と車両18両で編成されていた。カートルブリッジ駅のすぐ北側のソルウェイ・ジャンクション英語版は完全に連動装置で防護されていたが、駅自体は防護されておらず、また絶対閉塞システムも稼働していなかった。7時55分、貨物列車が同駅に到着し入換作業を開始した。渡り線のポイントは信号扱手ではなく地上のレバーによって操作されており、さらに信号扱所から300ヤード離れていた。ローカルルールでは信号機は停止を現示しなければならないとしていたが、この時は進行を現示していた。さらに、信号扱手は入換作業について知らされておらず、また急行列車の運行状況に関する通知を受けていなかった。カートルブリッジ駅の駅長は遅れて走行している急行列車がまだ駅を通過していないことを少しの間忘れ、貨車を渡り線のポイントを通して下り線に転線させた。駅長がそうしているうちに急行列車が40マイル毎時(約64 km/h)で走行してきて貨車と衝突した。先頭の機関車は最終的に今来たばかりの方向を向いて止まり、その炭水車はプラットホームの上にひっくり返り、2番目の機関車はレール上に留まったが、その炭水車と以降の3両の客車がその上にのしかかっていた。乗客11人と機関士1人が死亡した。この事故よりも前に発生した数々の事故のように、「連動装置と閉塞 ('interlocking and block working')」により事故を防止できるはずであった。

出典

外部リンク

座標: 北緯55度03分00秒 西経3度12分43秒 / 北緯55.050度 西経3.212度 / 55.050; -3.212




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カートルブリッジ鉄道事故」の関連用語

カートルブリッジ鉄道事故のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カートルブリッジ鉄道事故のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカートルブリッジ鉄道事故 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS