カロル・スタニスワフ・ラジヴィウ (1669-1719)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 07:05 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動カロル・スタニスワフ・ラジヴィウ Karol Stanisław Radziwiłł |
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ラジヴィウ家 | |
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出生 | 1669年11月27日![]() |
死去 | 1719年8月2日(49歳没)![]() |
配偶者 | アンナ・カタジナ・サングシュコ |
子女 | カタジナ・バルバラ ミコワイ・クシシュトフ ミハウ・カジミェシュ コンスタンツィア・フランツィスカ カロリナ・テレサ テクラ・ルジャ アンナ・アレクサンドラ アルブリフト・スタニスワフ クリスティナ・エレナ ルドヴィク・ミコワイ スタニスワフ・イェジー ヒェロニム・フロリアン |
父親 | ミハウ・カジミェシュ・ラジヴィウ |
母親 | カタジナ・ソビェスカ |
カロル・スタニスワフ・ラジヴィウ(ポーランド語:Karol Stanisław Radziwiłł;リトアニア語:Karolis Stanislovas Radvila、1669年 - 1719年)は、ポーランド・リトアニア共和国の貴族、公(帝国諸侯)。
生涯
リトアニアの副大法官、野戦ヘトマンのミハウ・カジミェシュ・ラジヴィウと、ポーランド王ヤン3世ソビェスキの妹カタジナとの間に生まれた。ネスヴィジのオルディナト(世襲領主)を相続、1685年よりリトアニア大膳官を、1686年よりリトアニア騎兵隊長官を、1690年よりリトアニア副大法官を、1698年よりリトアニア大法官およびヴィリニュスの徴税官(Ciwun)を務めた。また白鷲勲章を授与されている。
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