カルロス・デルガード・チャルバウドとは? わかりやすく解説

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カルロス・デルガード・チャルバウド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/17 07:16 UTC 版)

カルロス・デルガード・チャルバウド
Carlos Delgado Chalbaud

カルロス・デルガード・チャルバウド

任期 1948年11月24日1950年11月13日

ベネズエラ合衆国
第52-54代 国防大臣英語版
任期 1945年10月21日1948年11月24日
大統領 ロムロ・ベタンクール英語版
ロムロ・ガジェゴス英語版

出生 (1909-01-20) 1909年1月20日
ベネズエラ カラカス
死去 (1950-11-13) 1950年11月13日(41歳没)
ベネズエラ カラカス
出身校 サン・シール陸軍士官学校
配偶者 ルシア・デビーネ
署名

カルロス・デルガード・チャルバウドスペイン語: Carlos Delgado Chalbaud1909年1月20日1950年11月13日) は、ベネズエラの軍人。1948年から1950年まで、軍事政権のトップとして大統領を務めた。

経歴

首都カラカスに、海軍士官のロマン・デルガード・チャルバウドと母ルイーザ・エレーナ・ゴメス・ベルティーニの子として生まれる。父はフランス系とスペインアンダルシア系、母はコルシカ系移民の子孫であった。

フランスサン・シール陸軍士官学校で学び、1939年にベネズエラに帰国。ほどなくエレアサル・ロペス・コントレーラス大統領の軍事政権下で、陸軍大尉に任官した。

1945年、将校団の一員として当時のイサイアス・メディーナ・アンガリータ政権を転覆させ、新たな軍事政権に参画した。その後のロムロ・ベタンクールとロムロ・ガジェゴスの両政権で国防相を務めたが、1948年にはそのガジェゴス政権も転覆させ、マルコス・ペレス・ヒメネスおよびルイス・リョベラ・パエスの3名からなる軍事政権の名目上のトップとなった。

1950年11月13日、ラファエル・シモン・ウルビーナとその甥のドミンゴ・ウルビーナ率いる一団によって拉致・殺害された[1]。ウルビーナは逮捕・拘禁されたのち、国家安全保障命令により殺害され、ペレス・ヒメネスがその後の数年間、ベネズエラの政治指導者となった。

脚注

外部リンク

公職
先代
ロムロ・ガジェゴス英語版
ベネズエラ合衆国大統領
1948年11月24日 - 1950年11月13日
次代
ヘルマン・スアレス英語版



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