カモリディン・タジエフとは? わかりやすく解説

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カモリディン・タジエフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/27 08:17 UTC 版)

カモリディン・タジエフ
名前
ラテン文字 Kamoliddin Tadjiyev
基本情報
国籍 ウズベキスタン
生年月日 (1983-05-03) 1983年5月3日(39歳)
出身地 ジザフ
身長 183cm
選手情報
ポジション DF
ユース
2001-2002 アカデミヤ・タシュケント
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2011 パフタコール・タシュケント 66 (3)
2006 ソグディアナ・ジザフ(loan) 18 (1)
2011-2013 江蘇舜天 70 (2)
2014-2018 パフタコール・タシュケント 78 (6)
2019-2021 メタルルグ・ベカバード 62 (2)
代表歴
2007-2016  ウズベキスタン 11 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

カモリディン・タジエフ (ウズベク語: Камолиддни Тожиев, Kamoliddin Tojiyev1983年5月3日 - )は、ウズベキスタンの元サッカー選手。元ウズベキスタン代表。現役時代のポジションはDF

クラブ歴

2002年にFCパフタコール・タシュケントに加入したものの出場機会は多くなかった[1]。2006年にPFCソグディアナ・ジザフにレンタル移籍すると出場機会が増え、レギュラーにもなったものの降格危機にあるクラブを救う事は出来なかった[2]。その後パフタコールに復帰し、レギュラー争いを2011年まで繰り広げた。2011年には中国サッカー・スーパーリーグ江蘇舜天に完全移籍した[3]。2014年よりパフタコールに復帰。

代表歴

2007年2月7日のアゼルバイジャン代表戦で代表初出場。2009年にはAFCアジアカップ2011予選に2試合出場した。2012年10月12日のアラブ首長国連邦代表戦以降代表から遠のいていたが、2016年2月14日のレバノン代表戦で代表に復帰した。

家族

兄のザイニディン・タジエフ、弟のファルホド・タジエフもウズベキスタン代表のサッカー選手である。

タイトル

パフタコール・タシュケント
江蘇舜天

参考文献

  1. ^ Uzbekistan 2002”. RSSSF. 08-04-2013閲覧。
  2. ^ Uzbekistan 2006”. rsssf (31 Janurary 2007). 08-04-2013閲覧。
  3. ^ Kamoliddin Tajiev”. footballtop.com. 08-04-2013閲覧。

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