オースティン・オスマン・スペア
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オースティン・オスマン・スペア
Austin Osman Spare |
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生誕 | 1886年12月30日![]() |
死没 | 1956年5月15日(69歳)![]() |
著名な実績 | 画家 |
オースティン・オスマン・スペア(Austin Osman Spare、1886年12月30日 - 1956年5月15日)は、イギリス出身の画家・オカルティストであり、画稿家・作家でもあった。
象徴主義(Symbolism)およびアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)の影響を受け、線を明晰に用いる画風や、怪物的・性的なイメージの表現で知られている。
オカルティズムの分野では、意識と無意識と自己(self)の関係に基づいて、自動書記(automatic writing)、自動描画(automatic drawing)、シジルの意匠化(sigilization)などの魔術技法を発展させた。
生涯
幼年期:1886–1900年
スペアは1886年12月30日、ロンドンのスノーヒルにて労働者階級の家庭に生まれた。父は警察官のフィリップ・ニュートン・スペア、母はエリザ・オスマンであった。5人兄弟姉妹の4番目として育った。幼少期をスミスフィールド、ケニングトンで過ごし、早くから絵に関心を示した。
美術教育:1900–1904年
1899年頃、ランベス美術学校の夜間クラスに通い、フィリップ・コナードらの指導を受けた。14歳のとき奨学金を得て、線画が1900年のパリ万国博覧会に出展された。短期間商業デザインの仕事を経験した後、王立美術学校(Royal College of Art)に入学し、奨学金で学んだ。
初期キャリア:1905–1910年
1905年、スペアは最初の著作『地上の地獄(Earth Inferno)』を自費出版した。この書はダンテの『神曲・地獄篇』やオーブリー・ビアズリーの挿絵から強い影響を受けたとされ、彼の初期の芸術観や神秘思想を示すものであった。
王立美術学校を去った後、スペアは挿絵画家、蔵書票(ブックプレート)のデザイナーとして活動を始めた。1906年にはエセル・ロルト・ウィーラーの著書『Behind the Veil』の挿絵を担当し、1909年には『The Shadow of the Raggedstone』や『On the Oxford Circuit and other Verses』などの挿絵を手がけた。
またこの時期、社会や政治を風刺する作品も描き、1907年には『半獣神たちの書(A Book of Satyrs)』を出版した。これらの作品はロンドンの芸術界で大きな注目を集め、激しい賛否を呼んだ。
1907年10月にはロンドンのブルートン・ギャラリーで初の本格的な個展を開催した。この展示は前衛的かつグロテスクな要素を含み、インテリ層の目を引いた。展示を通じて、彼は詩人・魔術師のアレイスター・クロウリーとも交流を持つようになったとされる。

さらに1911年には、反ユートピア的な警句集『(星明かりの泥沼)The Starlit Mire』の挿絵を担当した。ここでの作風はビアズリー風の黒白コントラストを継承しつつ、スペア特有のグロテスクな想像力が顕著に表れており、後の独自様式への橋渡しとなった。
結婚および『快楽の書』:1911–1916年
1911年9月4日、スペアはイーリー・ガートルード・ショウ(Eily Gertrude Shaw)と結婚した。二人の関係は知的な面で緊張を含むものであり、のちに別居状態となったが正式に離婚することはなかった。
この時期、スペアは代表的著作の一つ『快楽の書(The Book of Pleasure: Self-Love: The Psychology of Ecstasy)』(1913年)を自費出版した。この著作において、彼は「無意識の心」を人間の潜在的な力の源泉と見なし、シジル(sigil)の使用を含む独自の魔術理論を展開した。
同書は後年、現代魔術における最も独創的な文献の一つとみなされ、ケイオスマジック(Chaos Magic)の理論的基盤の先駆けとなったとされている。
第一次世界大戦と『生命の焦点』:1917–1927年
1917年、第一次世界大戦中にスペアは軍医補助として従軍し、戦争画の制作を担当した。戦争経験は彼の芸術と思想に大きな影響を与えた。
戦後、妻イーリー・ショウとの関係は破綻し、別居状態となった。1921年には著作『生命の焦点(The Focus of Life)』を出版し、前作『快楽の書』に続いて自身の神秘思想をさらに展開した。

1920年代前半には、雑誌『Form』の復刊を試み、また『The Golden Hind』などの出版活動にも関わった。1927年には『ゾスの呪詛(The Anathema of Zos)』を出版し、社会や宗教に対する批判的な姿勢を明確に示した。
シュルレアリスムと第二次世界大戦:1927–1945年
1920年代後半以降もスペアは展覧会を開催し続けたが、批評家や一般からの注目は限定的であり、貧困の中で生活を送った。
1930年には「現実の実験(Experiments in Reality)」と題したシリーズを制作し、アナモルフォーシスによる歪像ポートレートなどを発表した。これらの作品は当時の前衛芸術やシュルレアリスムと共鳴する要素を含んでいた。
第二次世界大戦中、ロンドン大空襲(Blitz)によって自宅が爆撃され、多くの作品や所有物を失った。この出来事は彼の生活と創作活動に深刻な影響を与えた。
ケネス・グラントと晩年:1946–1956年
第二次世界大戦後の1947年、スペアはロンドンのアーチャー・ギャラリーで復活展を開催し、大きな成功を収めた。この頃の作品にはスピリチュアリズム(心霊主義)の影響が強く見られ、有名な霊媒や心霊主義者たちの肖像画も制作している。
1949年、スペアはスティフィ・グラント夫妻を通じてケネス・グラントと出会い、親交を深めた。グラントは後にスペアの思想を広める重要な役割を担うことになる。
晩年もスペアは作品制作を続け、いくつかの新しい魔術的写本を著した。彼は1956年5月15日、ロンドンのサウス・ウェスタン病院で死去した。享年69歳であった。遺体は父と同じく、ロンドン郊外イルフォードのSt. Mary’s教会に埋葬された。
芸術家として
スペアは生涯にわたって膨大な数の作品を制作した。絵画、ドローイング、パステル画、版画、さらにテキストとイラストを組み合わせた出版物など、多岐にわたる創作活動を行った。
その作風は初期には象徴主義やアール・ヌーヴォーの影響を色濃く受けていたが、後に独自のスタイルを確立した。モンスター的あるいは性的なイメージを特徴とする作品も多く、時にグロテスクで挑発的と評された。
批評家からの反応は賛否が分かれ、「才能ある若者」と評価する声がある一方で、難解で理解しにくいとする意見もあった。それでも彼の作品群は今日に至るまで再評価され続けている。
Zos Kia Cultus
スペアは、オカルティズムにおいて「Zos」と「Kia」という独自の用語を用いた。 「Zos」は肉体全体を意味し、「Kia」は人間存在の普遍的な意識、あるいは「絶対的なもの」を指す。 この二つの概念は、スペアの魔術理論における中核であった。
彼の代表作『快楽の書(The Book of Pleasure)』(1913年)においては、シジル魔術の方法論が展開された。 そこでは、願望を意識から切り離し、無意識に沈めることで実現力を得るとされる。 この技法は後に20世紀末のカオス・マジックに多大な影響を与えた。
また、スペアはトランス状態や自動書記、自動描画を通じて無意識と交信しようと試みた。 彼の体系は、伝統的な儀式魔術から距離を置きつつ、個人的な実践を重視する点で異彩を放っている。
影響と遺産

スペアの作品は、彼の死後もしばしば再評価の対象となってきた。 1960年代には、グリニッジ・ギャラリーで回顧展が開かれ、ポップアートの評論家マリオ・アマヤは、セレブリティを描いた晩年の肖像画を「イギリスにおける最初のポップアートの例」と評した。 また、自動描画の技法は、後の抽象表現主義やシュルレアリスムの潮流を先取りしていたと見なされている。
オカルティズムの分野では、スペアのシジル魔術や「欲望のアルファベット」の技法が再発見され、ピーター・J・キャロルやフィル・ハインらによって採用・改変された。 これらの技法は、20世紀後半に登場したケイオスマジックの理論的基盤の一つとされ、今日に至るまで多くの現代オカルティストに影響を与えている。
さらに、スペアの思想やイメージは音楽や文学の分野にも影響を残した。 英国のサイケデリック・バンド Bulldog Breed の楽曲 “Austin Osmanspare” をはじめ、プログレッシブ・ロックやインダストリアル音楽のアーティストたちが彼を参照している。 また、作家アラン・ムーアの作品『プロメテア』や『The Great When』などにもスペアは登場し、その生涯と思想が虚構の物語に織り込まれて描かれている。
主な展覧会
- 1907年10月:ロンドン、Bruton Galleries
- 1911年10月:ロンドン、Baillie Gallery
- 1912年10月:ロンドン、Baillie Gallery
- 1914年10月:ロンドン、Baillie Gallery
- 1921年10月:ロンドン、Baillie Gallery
- 1925年:ロンドン、St. George’s Gallery
- 1930年:ロンドン、Godfrey Phillips Gallery
- 1936年:ロンドン、The Whitechapel Art Gallery
- 1947年:ロンドン、Archer Gallery(復活展)
- 1964年:ロンドン、Greenwich Gallery(回顧展)
- 1987年:ロンドン、Imperial War Museum(回顧展)
- 1999年:ロンドン、South London Gallery(回顧展 "Austin Osman Spare Retrospective")
- 2010年:ロンドン、Cuming Museum(回顧展 "Austin Osman Spare: Fallen Visionary")
- 2017年:ロンドン、The Horse Hospital(展覧会 "Austin Osman Spare and His Legacy")
著作
著書(自著・自費出版を含む)
- Earth Inferno (1905年、自費出版)
- A Book of Satyrs (1907年)
- The Book of Pleasure (Self-Love): The Psychology of Ecstasy (1913年、自費出版)
- The Focus of Life (1921年)
- The Anathema of Zos (1927年)
挿絵を担当した書籍
- Ethel Rolt Wheeler 著、Behind the Veil (1906年)
- Charles F. Grindrod 著、Songs From The Classics (1907年)
- James Bertram & F. Russell 著、The Starlit Mire (1911年)
- Ethel Archer 著、The Hieroglyphics of Love (1912年)
- W. B. Yeats 著、Ideas of Good and Evil (1913年)
雑誌や刊行物への寄稿
- Form (1916年、共編者)
- The Golden Hind (1922–1924年、共編者)
- Aleister Crowley 編集 The Equinox に挿絵を寄稿(1909–1910年頃)
関連項目
- シジル魔術
- ケイオスマジック
- アレイスター・クロウリー
- ケネス・グラント
- アラン・ムーア
参考文献
- Phil Baker, Austin Osman Spare: The Life and Legend of London’s Lost Artist (2009年)
- Robert Ansell (ed.), Two Grimoires by Austin Osman Spare: The Focus of Life & The Anathema of Zos (2011年)
- Kenneth Grant, Images and Oracles of Austin Osman Spare (1975年)
- Kenneth Grant, Zos Speaks! Encounters with Austin Osman Spare (1998年)
- Michael Staley (ed.), The Collected Works of Austin Osman Spare (1986年–)
- W. B. Yeats, Ideas of Good and Evil (1913年、挿絵提供)
外部リンク
- オースティン・オスマン・スペアのページへのリンク