オスカー・デ・ラ・レンタとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > オスカー・デ・ラ・レンタの意味・解説 

オスカー・デ・ラ・レンタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/19 14:52 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
オスカー・デ・ラ・レンタ
Oscar de la Renta
生誕 (1932-07-22) 1932年7月22日
ドミニカ共和国
死没 (2014-10-20) 2014年10月20日(82歳没)
アメリカ合衆国
受賞 CFDA(アメリカ・ファッション協議会)ファッション・アワード功労賞

オスカー・デ・ラ・レンタOscar de la Renta1932年7月22日 - 2014年10月20日[1])はアメリカ合衆国ファッションデザイナードミニカ共和国出身。

保険会社を営むプエルトリコ出身の父、スペイン系の母のもとに生まれた[2]。7人兄弟の第1子で、唯一の男児であった[3]。19歳で絵画を学ぶためマドリード王立サン・フェルナンド美術アカデミーに留学[4]。金を稼ぐために、新聞やファッション・ハウスのため服を描き始めた。当時の駐スペイン・アメリカ合衆国大使ジョン・デイヴィス・ロッジの妻フランセスカが、彼の描いたスケッチに目をとめ、娘の着るガウンのデザインをデ・ラ・レンタに依頼した。このドレスは秋に発行されたライフの表紙に登場した。彼はすぐにファッション・デザインの世界に関心を持つようになり、スペインをリードするファッション・ハウスのためにスケッチを始めた。その後すぐに、スペインで最も有名なクチュリエであったクリストバル・バレンシアガのもとで見習いとなった。彼はバレンシアガを師と仰いだ[5]。デ・ラ・レンタは、パリのランバンでオートクチュールのアシスタントをすることになったアントニオ・カスティーリョ(のちに衣装デザイナーとなって1971年度のアカデミー衣裳デザイン賞を受賞する)と合流するためスペインを発った[6]

デ・ラ・レンタはエリザベス・アーデンで2年働いた後、1965年よりジェーン・ダービーに入った[7] 。同年8月にダービーが死去すると、Oscar de la Renta for Jane Derbyのブランド名で再出発したが、1966年より自身の名前オスカー・デ・ラ・レンタのブランド名に変更した[8]

1993年から2002年まで、フランスのクチュール・メゾンであるピエール・バルマンのオートクチュールのクチュリエとなった。彼はフランスのオートクチュール初のドミニカ共和国出身クチュリエとなった。

デ・ラ・レンタは1967年と1968年の2度、コティ賞を受賞し、1973年にはコティ賞の殿堂入りを果たした[9]

1973年から1976年、1986年から1988年の2度、アメリカ・ファッション協議会(CFDA)の会長を務めた[10]

出典

  1. ^ オスカー・デラレンタ氏が死去―著名デザイナー アーカイブ 2015年1月2日 - ウェイバックマシン THE WALL STREET JOURNAL 2014年10月21日
  2. ^ Savio, Anita (2001年10月1日). “Hot couture”. Latino Leaders. 2014年10月21日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年10月21日閲覧。
  3. ^ Horyn, Cathy; Nemy, Enid (20 October 2014). "Oscar de la Renta, Who Clothed Stars and Became One, Dies at 82". The New York Times. Retrieved 20 October 2014.
  4. ^ Ahmed, Saeed; Ford, Dana (2014年10月20日). “Oscar de la Renta, legendary fashion designer, dies at 82”. CNN.com. http://www.cnn.com/2014/10/20/living/oscar-de-la-renta-death/index.html?hpt=hp_t1 21 October 2014閲覧。 
  5. ^ Feitelberg, Rosemary (2013年11月7日). “Oscar de la Renta Sits for Q&A at the Design Leadership Summit”. WWD. 2013年11月7日閲覧。
  6. ^ Óscar de la Renta”. 2012年6月15日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月10日閲覧。
  7. ^ Óscar de la Renta 1965”. 2012年7月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月10日閲覧。
  8. ^ Kent University Museum”. 2009年3月27日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年1月3日閲覧。
  9. ^ Óscar de la Renta 1967”. 2012年7月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月10日閲覧。
  10. ^ Óscar de la Renta 1973”. 2012年7月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月10日閲覧。

外部リンク



このページでは「ウィキペディア」からオスカー・デ・ラ・レンタを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からオスカー・デ・ラ・レンタを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からオスカー・デ・ラ・レンタ を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オスカー・デ・ラ・レンタ」の関連用語

オスカー・デ・ラ・レンタのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オスカー・デ・ラ・レンタのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのオスカー・デ・ラ・レンタ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS