エリー1世 (メーヌ伯)とは? わかりやすく解説

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エリー1世 (メーヌ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/25 14:19 UTC 版)

エリー1世
Élie Ier du Maine
メーヌ伯
19世紀に描かれたメーヌ伯エリー1世(左)とブロワ伯ウード2世の想像画
在位 1093年 - 1110年

死去 1110年7月11日
ル・マン
埋葬 ル・マン、ノートルダム・ド・ラクチュール教会
配偶者 マティルド・ド・シャトー・デュ=ロワール
  ベアトリス・ド・ポワティエ
子女 エランブルジュ・デュ・メーヌ
家名 ラ・フレーシュ=ド・ボージャンシー家
父親 ジャン・ド・ボージャンシー
母親 ポーラ・デュ・メーヌ
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エリー1世・デュ・メーヌÉlie Ier du Maine, ? - 1110年7月11日)は、メーヌ伯(在位:1093年 - 1110年)。

名は他にエリー1世・ド・ラ=フレーシュもしくはド・ボージャンシーÉlie IerあるいはHélie Ier de la Flècheもしくはde Beaugency)ともされる。

生い立ち

ボージャンシー卿ランセリン1世の次男ラ・フレーシュ卿ジャン・ド・ボージャンシーフランス語版とその妻ポーラ・デュ・メーヌの三男であったとされる。両親の子女はエリーを含め7人おり、ゴワベールとエノシュという2人の兄がいたが、戦闘への参戦後に双方修道僧となり、他4人の弟ジョフロワ、ランセリン、ミリオン、ギヨームがいたとされるが、成人を迎えずに死去し、エリーが父の相続人となった。

エリーは母を通じ、当時より2代前のメーヌ伯エルベール1世フランス語版の孫に当たるため、当時競争率の激しかったメーヌ伯領統治権を主張した。

メーヌ伯

エリーは父よりラ・フレーシュ卿位を相続し、アンジュー伯フルク4世の家臣となり、ノルマンディー公ロベール2世に対抗していた。

1089年にバロンフランス語版城を占領し、1090年にノルマンディー側に味方したル・マン司教を捕虜とした。

1093年、エリーは従兄に当たる先代のメーヌ伯ユーグ5世からメーヌ伯領の統治権を1万シリングで買い取ったことによりメーヌ伯となった際、君主フルク4世の支援でノルマンディー公ロベール2世に対し、自らがメーヌ伯であることを主張できた。ノルマンディー公との戦闘を続けたため、ロベールの実弟ギヨームによる攻撃を撃退しなければならなかった。

ギヨームはイングランド王ウィリアム2世として戴冠し、その後1098年にエリーはギヨームの家臣シュールズベリー伯ロベール・ド・ベレームに捕らえられ[1]ルーアンに連行されたと同時にギヨームによりル・マンにて鎮圧された。

エリーは解放された後、ラ・フレーシュに退き、盟友アンジュー伯ジョフロワ4世と共にギヨームと再戦したが、3か月の包囲の後、結局エリーが死去する1110年までル・マンを奪還することは叶わなかった。

1001年、エリーはノルマンディー公ロベール2世が第1回十字軍遠征でフランスを発った隙にノルマンディー公の摂政をしていたギヨームと和平を結んだ。

1100年、ウィリアム2世が狩猟場にて崩御した後は、ウィリアムの弟アンリが即位しヘンリー1世となった。

しかし1106年、ヘンリーの長兄ノルマンディー公ロベール2世が後からイングランド王位を主張してきたため、タンシュブレーの戦いが起きたが、結果的にイングランド王ヘンリー1世ロベール2世に勝利し、ノルマンディ公国君主となり得たのは、戦いにエリーが介入した功績によるものと言える。

エリーは初婚でシャトー・デュ=ロワール卿ジェルヴェの娘マティルドと結婚し一人娘をもうけている。

マティルドと死別した後にアキテーヌ公ポワティエ伯ギヨーム8世の娘で、カスティーリャ王アルフォンソ6世未亡人ベアトリス・ド・ポワティエと1109年に再婚したが、ベアトリスとはその翌年死別した。

その同年1110年7月11日にエリーも死去し、ル・マンのノートルダム・ド・ラ・クチュール教会の聖歌隊によって埋葬された。

脚注

  1. ^ Neveux 1998, pp. 459–460.

参考文献

  • Neveux, François (1998). la Normandie, des ducs aux rois (Xe-XIIe -siècle). Rennes: Ouest-France 

出典

先代
ユーグ5世
メーヌ伯
1093年 - 1110年
次代
エランブルジュ
フルク5世



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