エドマンドグレイ (初代ケント伯爵)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エドマンドグレイ (初代ケント伯爵)の意味・解説 

エドマンド・グレイ (初代ケント伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/23 08:37 UTC 版)

エドマンド・グレイ
Edmund Grey
初代ケント伯
ケント伯エドマンド・グレイの紋章。第1および第4クォーター:銀と青のバリー、上部に3つのトゥルト(グレイ家);第2および第3クォーター:金地に赤い袖口(マウンチ)(ヘイスティングス家)、銀と青のバリーに赤いマーレットのオール(ヴァランス家)
在位 1465年 - 1490年

称号 第4代ルシンのグレイ男爵
出生 (1416-10-26) 1416年10月26日
死去 (1490-05-22) 1490年5月22日(73歳没)
配偶者 キャサリン・パーシー
子女 アンソニー
ジョージ
エリザベス
アン
家名 グレイ家
父親 サー・ジョン・グレイ
母親 コンスタンス・ホランド
テンプレートを表示

初代ケント伯エドマンド・グレイ(Edmund Grey, 1st Earl of Kent, 1416年10月26日 - 1490年5月22日)は、イングランドの行政官[1]で有力な貴族。サー・ジョン・グレイとコンスタンス・ホランドの息子。ベッドフォードシャーのシルソー近くのレストに主に居を構えた。

生涯

出自

エドマンドは母コンスタンス・ホランドを通じてイングランド王エドワード3世の3男の初代ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの曾孫にあたり、したがってイングランド王ヘンリー4世の甥にあたる。

1440年に祖父である第3代ルシンのグレイ男爵レイノルド・グレイ英語版の死により、ルシンのグレイ男爵を継承した。

エドマンドはキャサリン・パーシーと結婚した。キャサリンはジョン・オブ・ゴーントの3番目の妻キャサリン・スウィンフォードの曾孫でもあり、またイングランド王エドワード3世の次男の初代クラレンス公ライオネル・オブ・アントワープの子孫でもあった。

騎士の叙任

エドマンドは、1440年10月にアキテーヌでの任務の後に騎士に叙せられた。また、1456年から1458年にかけて王室会議に出席した。薔薇戦争において活躍し、特にノーザンプトンの戦いではランカスター派からヨーク派に忠誠を誓い、重要な役割を果たした。この功績により、エドワード4世からアンプティルの荘園を与えられた。この荘園の所有権はグレイ家、第3代クロムウェル男爵ラルフ、およびエクセター公ヘンリー・ホランドの間で争われていた[1]

イングランド財務長官

エドマンドのイングランド財務長官への任命は1463年6月24日にウェストミンスターで行われたが、1464年11月に初代マウントジョイ男爵ウォルター・ブラントが跡を継いだ。エドマンドはエドワード4世とリチャード3世のもとでも高官を務めた[2]

1483年7月5日、エドマンドはバス騎士団の騎士に叙せられた。1485年にはノーサンプトン城の城代となった[3]

ケント伯の創設

1465年5月30日、長男アンソニーがエドワード4世の義理の妹ジョーン・ウッドヴィル(エリナー・ウッドヴィルと呼ばれることもある[4])と結婚した直後に、エドマンドはケント伯に叙せられた[1]。その後、北ウェールズのメリオネス伯領の首席判事[5]およびハーレック城の城代[1]に任命された。長男の死後、次男ジョージが相続人となり、最終的に第2代ケント伯となった。

子女

  • アンソニー - 王妃エリザベス・ウッドヴィルの妹ジョーン(エリナー)と結婚。父に先立って死去した。
  • ジョージ(1454年 - 1505年) - 第2代ケント伯。アン・ウッドヴィルと結婚、後に初代ペンブルック伯ウィリアム・ハーバートの娘キャサリンと結婚
  • エリザベス - サー・ロバート・グレイストークと結婚
  • アン - 第8代ウィルトンのグレイ男爵ジョン・グレイと結婚

脚注

  1. ^ a b c d Horrox, Rosemary. “Grey, Edmund, first earl of Kent (1416–1490)”. Oxford Dictionary of National Biography (online ed.). Oxford University Press 
  2. ^ "Kent, Earls and Dukes of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 15 (11th ed.). 1911. p. 734.
  3. ^ "Grey, Edmund" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  4. ^ Charles Ross, Edward IV, Yale University Press (1997), page 93
  5. ^ Calendar of the Patent Rolls: Edward IV a.d. 1461-1467; p. 286, 467, (London, 1897).

参考文献

公職
先代
ジョン・ティプトフト
イングランド財務長官
1463年 - 1464年
次代
ウォルター・ブラント
イングランドの爵位
爵位創設 ケント伯
1465年 - 1490年
次代
ジョージ
先代
レイノルド・グレイ英語版
ルシンのグレイ男爵
1440年 - 1490年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  エドマンドグレイ (初代ケント伯爵)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エドマンドグレイ (初代ケント伯爵)」の関連用語

1
ケント伯爵 百科事典
18% |||||

エドマンドグレイ (初代ケント伯爵)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エドマンドグレイ (初代ケント伯爵)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエドマンド・グレイ (初代ケント伯爵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS