エウリュメドン川の戦い_(紀元前190年)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エウリュメドン川の戦い_(紀元前190年)の意味・解説 

エウリュメドン川の戦い (紀元前190年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/13 22:53 UTC 版)

エウリュメドン川の戦い
戦争ローマ・シリア戦争
年月日紀元前190年
場所:エウリュメドン川河口
結果:ロードスの勝利
交戦勢力
ロドス セレウコス朝シリア
指導者・指揮官
エウダモス
カリクレイトス
パンフィリダス
ハンニバル・バルカ
アポロニオス
戦力
四段櫂船32隻
三段櫂船4隻
37隻
損害
不明 7隻沈没
7隻拿捕
ローマ・シリア戦争

エウリュメドン川の戦い(英:Battle of the Eurymedon)はローマ・シリア戦争においてエウリュメドン川河口で紀元前190年に戦われた戦闘である。この戦いでは共和政ローマに追われ、セレウコス朝シリアに身を寄せていたカルタゴの将軍ハンニバル・バルカとシリアの将軍アポロニオス率いるセレウコス朝の艦隊と、エウダモス・カリクレイトス・パンフィリダス率いるローマと同盟していたロドス艦隊が戦った。

横隊のシリア艦隊はハンニバルが陸側の左翼を指揮し、アポロニオスが右翼を指揮した。一方縦隊を組んでいたロドス艦隊は前衛をエウダモス、中衛をパンフィリダス、後衛をカリクレイトスが指揮していた。夜明け、戦いはエウダモスとハンニバルとの交戦でもって始まった。前進を急ぎすぎていたエウダモスには4隻が続くのみであったのに対し、ハンニバルは準備万端でそれを迎え撃った[1]

数の優勢のためにハンニバルが乗組員の技術で優っていたエウダモスを圧迫していたのに対し、アポロニオスは間もなく敗走した。これを受け、残余のロドス艦隊がエウダモスの救援に回るために再集結した。このため、ハンニバルは敵を包囲しつつあったにもかかわらず、撤退を余儀なくされた。エウダモスはパンフィリダスとカリクレイトスに敵の追撃を命じたが、敵地の真っ只中に孤立するのを恐れた彼らは幾らか敵を追った後、エウダモスの許に戻り、ロドス艦隊はロドスに帰還した。その後、カリクレイトスはパトラスとメギステ港へ、エウダモスはサモス島へとローマ艦隊と合流するために送られた[2]

  1. ^ リウィウス, XXXVII. 23
  2. ^ ibid, XXXVII. 24

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エウリュメドン川の戦い_(紀元前190年)」の関連用語

エウリュメドン川の戦い_(紀元前190年)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エウリュメドン川の戦い_(紀元前190年)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエウリュメドン川の戦い (紀元前190年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS