ウルリヒ1世 (ケルンテン公)とは? わかりやすく解説

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ウルリヒ1世 (ケルンテン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 02:43 UTC 版)

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ウルリヒ1世
Ulrich I.
ケルンテン公
在位 1135年 - 1144年

死去 1144年4月7日
埋葬 ヴェローナ辺境伯領、ロザッツォ、ロザッツォ修道院
配偶者 ユーディト・フォン・バーデン
子女 ハインリヒ5世
ヘルマン2世
ウルリヒ
ゴットフリート
ピルグリム
家名 シュポンハイム家
父親 ケルンテン公エンゲルベルト
母親 ウタ・フォン・パッサウ
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ウルリヒ1世(ドイツ語:Ulrich I., ? - 1144年4月7日)は、ケルンテン公およびヴェローナ辺境伯(在位:1135年 - 1144年)。

生涯

ウルリヒ1世はケルンテン公エンゲルベルトとパッサウ城伯ウルリヒの娘ウタとの間の長男である。父エンゲルベルトは1135年に退位し、皇帝ロタール3世によりバンベルクで開かれた帝国議会においてウルリヒ1世がケルンテン公およびヴェローナ辺境伯に任ぜられた。

1136年から1137年に、ウルリヒは皇帝のイタリア遠征に参加した。1138年以降、ウルリヒ1世はケルンテン貴族と、ケルンテンに広大な領地を持っていたザルツブルク大司教およびバンベルク司教との争いに巻き込まれた。

ウルリヒ1世はバーデン辺境伯ヘルマン2世の娘ユーディトと結婚し、以下の子女をもうけた。

  • ハインリヒ5世(1161年没) - ケルンテン公(1144年 - 1161年)
  • ヘルマン2世(1181年没) - ケルンテン公(1161年 - 1181年)
  • ウルリヒ - ライバッハ伯、長兄より先に死去
  • ゴットフリート - 修道士、父より先に死去
  • ピルグリム(1161年没) - アクィレイア総大司教(1131/2年 - 1161年)

参考文献

  • Hausmann, Friedrich. "Die Grafen zu Ortenburg und ihre Vorfahren im Mannesstamm, die Spanheimer in Kärnten, Sachsen und Bayern, sowie deren Nebenlinien". Ostbairische Grenzmarken – Passauer Jahrbuch für Geschichte Kunst und Volkskunde 36 (1994): 9–62.
  • Ortenburg-Tambach, Eberhard Graf zu. Geschichte des reichsständischen, herzoglichen und gräflichen Gesamthauses Ortenburg, vol. 1: Das herzogliche Haus in Kärnten. Vilshofen, 1931.
先代:
エンゲルベルト
ケルンテン公
1135年 - 1144年
次代:
ハインリヒ5世



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