ウィリアム・レッグ (第4代ダートマス伯爵)とは? わかりやすく解説

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ウィリアム・レッグ (第4代ダートマス伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/06 13:22 UTC 版)

第4代ダートマス伯爵、1831年。

第4代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグWilliam Legge, 4th Earl of Dartmouth FRS FSA1784年11月29日1853年11月22日)は、グレートブリテン貴族庶民院議員を務めた[1]

生涯

第3代ダートマス伯爵ジョージ・レッグと妻フランシス(1761年2月9日 – 1838年11月21日、第3代エイルズフォード伯爵ヘニッジ・フィンチの娘)の息子として、1784年11月29日にセント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエア英語版教区で生まれた[1]。1799年よりイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1802年5月3日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1805年にB.A.の学位を修得した[3]。その後、大陸ヨーロッパシチリアスペインを旅した[2]

1810年1月、ミルボーン・ポート選挙区英語版の補欠選挙に出馬して、庶民院議員に選出された[4][5]。議会では演説の記録がなく、与党トーリー党を支持したとされる[2]。同年11月10日に父が死去すると、ダートマス伯爵位を継承し[1]貴族院の議席を得た[2]

1820年6月22日にロンドン考古協会フェローに[1]、1822年11月7日に王立協会フェローに選出された[6]。1834年6月13日、オックスフォード大学よりD.C.L.英語版の名誉学位を授与された[3]

1853年11月22日にスタッフォードシャーパットシュル英語版で死去、長男ジョージが夭折したため次男ウィリアム・ウォルターが爵位を継承した[1]

家族

1821年4月5日、サイレンセスターでフランシス・シャーロット・チェットウィンド=タルボット(Frances Charlotte Chetwynd-Talbot、1801年5月17日 – 1823年10月4日、第2代タルボット伯爵チャールズ・チェットウィンド=タルボットの娘)と結婚[1]、2男をもうけた[2]

  • ジョージ(1822年6月10日 – 1823年10月18日埋葬) - 夭折[1]
  • ウィリアム・ウォルター(1823年8月12日 – 1891年8月4日) - 第5代ダートマス伯爵[1]

1828年10月25日、フィレンツェでフランシス・バリントン(Frances Barrington、1802年10月20日 – 1849年8月11日、第5代バリントン子爵ジョージ・バリントンの娘)と再婚[1]、6男9女をもうけた[7][8]

  • フランシス・エリザベス(1829年9月15日[7] – 1922年3月13日) - 1862年4月22日、軍人ジョージ・ブルース・ミシェル(George Bruce Michell、1866年2月11日没)と結婚[8]
  • ルイーザ・ジェーン・セシル(1830年11月6日[7] – 1910年2月12日) - 生涯未婚[8]
  • ジョージ・バリントン(1831年12月19日 – 1900年12月9日) - 1860年10月9日、ソフィア・フランシス・マーガレット・レヴェット(Sophia Frances Margaret Levett、1895年10月15日没、ジョン・レヴェットの娘)と結婚、子供あり[7]
  • ベアトリクス・マリア(1833年1月13日 – 1872年4月11日[7]
  • エドワード・ヘンリー(1834年4月23日 – 1900年8月16日) - 1873年1月15日、コーデリア・ツイスデン・モールズワース(Cordelia Twysden Molesworth、1915年3月19日没、ウォルター・ヘレ・モールズワースの娘)と結婚、子供あり[8]
  • アーサー・ケイ・ハワード(Arthur Kaye Howard、1835年3月24日 – 1861年6月8日[7]
  • キャサリン(1837年9月2日[7] – 1914年7月1日) - 1863年4月9日、ロバート・ジェームソン・ユースタス・ユースタス(Robert Jameson Eustace Eustace、1889年4月1日没)と結婚、子供あり[8]
  • フローレンス(1838年8月3日 – 1917年3月27日) - 1858年2月11日、ナサニエル・バーナーディストン(Nathaniel Barnardiston、1832年4月24日 – 1916年2月23日)と結婚、子供あり[7][8]
  • オーガスタス(1839年11月28日 – 1913年3月15日) - 聖職者。1877年1月3日、ファニー・ルイーザ・ストップフォード=サックヴィル(Fanny Louisa Stopford-Sackville、1911年12月23日没、ウィリアム・ブルース・ストップフォード=サックヴィルの娘)と結婚、子供あり[8]
  • バーバラ・キャロライン(1841年1月[7] – 1909年1月5日) - 1875年11月24日、聖職者ハイシュ・イートマン=ビッグス英語版(1922年4月14日没)と結婚、子供あり[8]
  • チャールズ・ガウンター(Charles Gounter、1842年5月9日 – 1907年11月15日) - 1868年6月2日、メアリー・ガーニア(Mary Garnier、1896年12月13日没、聖職者トマス・ガーニア英語版の娘)と結婚、子供あり[8]
  • シャーロット・アン・ジョージアナ(1843年7月29日[7] – 1908年12月19日) - 生涯未婚[8]
  • ヘニッジ(1845年7月3日 – 1911年11月1日) - 軍人、政治家。生涯未婚[8]
  • ハリエット・オクタヴィア(1847年3月1日[7] – 1927年4月22日) - 生涯未婚[8]
  • ウィルヘルミナ(1849年2月28日[7] – 1928年12月31日) - 1874年6月30日、ジョン・タウンゼンド・ブルック(John Townshend Brooke、1899年1月31日没)と結婚、子供あり[8]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 90–91.
  2. ^ a b c d e Thorne, R. G. (1986). "LEGGE, William, Visct. Lewisham (1784-1853), of Patshull House, Staffs.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年8月6日閲覧
  3. ^ a b Foster, Joseph (1888–1892). "Legge, William, Viscount Lewisham (2)" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 3. Oxford: Parker and Co. p. 835. ウィキソースより。
  4. ^ "No. 16339". The London Gazette (英語). 3 February 1810. p. 178.
  5. ^ Thorne, R. G. (1986). "Milborne Port". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年8月6日閲覧
  6. ^ "Legge; William (1784 - 1853); 4th Earl of Dartmouth". Record (英語). The Royal Society. 2024年8月6日閲覧
  7. ^ a b c d e f g h i j k l Lodge, Edmund, ed. (1902). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (71st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 196.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. pp. 712–713.

外部リンク

グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
ヒュー・レスター
パジェット卿
庶民院議員(ミルボーン・ポート選挙区英語版選出)
1810年
同職:ヒュー・レスター
次代
ヒュー・レスター
エドワード・パジェット英語版
グレートブリテンの爵位
先代
ジョージ・レッグ
ダートマス伯爵
1810年 – 1853年
次代
ウィリアム・レッグ



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