ウィリアム・コヴェントリー (第5代コヴェントリー伯爵)とは? わかりやすく解説

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ウィリアム・コヴェントリー (第5代コヴェントリー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 02:50 UTC 版)

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ゴドフリー・ネラーによる肖像画、1720年。

第5代コヴェントリー伯爵ウィリアム・コヴェントリー英語: William Coventry, 5th Earl of Coventry PC1676年ごろ – 1751年3月18日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。1708年から1719年まで庶民院議員を務めた[1]

生涯

ウォルター・コヴェントリー(Walter Coventry、1692年没、ウォルター・コヴェントリーの息子)と妻アン(Anne、旧姓ホルクーム(Holcombe)、ハンフリー・ホルクームの娘)の息子として[1]、1676年ごろに生まれた[2]。1692年に父が死去すると、その遺産を継承した[2]。1693年4月13日、ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジに入学した[3]

1708年イギリス総選挙ブリッドポート選挙区英語版から出馬して当選を果たし、1710年1713年1715年の総選挙でも再選した[4][5]庶民院ではホイッグ党として行動して、1710年にヘンリー・サシェヴェレル英語版の弾劾に賛成、1711年12月に「スペインなくして講和なし」の動議に賛成、1713年6月にフランスとの通商法案に反対、1714年3月にリチャード・スティール英語版の議会追放に反対[2]、1715年以降のホイッグ党政権期では常に与党に同調した[6]

初代エグモント伯爵ジョン・パーシヴァルによれば、コヴェントリーはホイッグ党政権期に貴族院秘書官英語版の官職就任を求めたことがあった[6]。コヴェントリーが1,000ポンド払うというと、ロバート・ウォルポールは翌朝に金を持ってくるよういったが、翌日に金を持ってきたコヴェントリーに対しさらに500ポンド追加しなければならないと返答した[6]。コヴェントリーが翌日に1,500ポンドを持ってくると、同じく貴族院秘書官の官職を求めたウィリアム・クーパー(William Cowper)が2,000ポンド出すと言ったため、ウォルポールはコヴェントリーに同額の支払いを求め、コヴェントリーが怒って拒否すると秘書官の職がクーパーに与えられた[6]。結局、コヴェントリーは1717年から1719年まで宮廷職のClerk of the Green Clothを務めるに留まった[1]

1719年10月27日に遠戚にあたる第4代コヴェントリー伯爵ギルバート・コヴェントリーが死去すると、コヴェントリー伯爵位の特別残余権(special remainder)に基づき爵位を継承した[1]。同年12月16日にウスターシャー統監英語版に、12月21日にウスターシャー首席治安判事英語版に任命され、いずれも1751年に死去するまで務めた[7][8]。1720年3月22日、枢密顧問官に任命された[1]

貴族院では常に首相ロバート・ウォルポールに反対して野党トーリー党に同調した[1]。ブリッドポート選挙区では影響力を確立して、1747年まで1議席を掌握した[5]1741年イギリス総選挙ではコヴェントリー伯爵の指名者が2議席ともに勝ち取ったが、1747年イギリス総選挙では2議席ともに得られなかった[5]。また、カウンティ選挙区であるウスターシャー選挙区英語版にも影響力があり、1722年1727年ではトーリー党と妥協して1議席ずつ指名したが、1734年イギリス総選挙では野党に転じていたため、ホイッグ党候補の第4代準男爵サー・トマス・リトルトンが十分な支持を得られなかったと感じて選挙戦から撤退、トーリー党が2議席を占める結果になった[9]1741年イギリス総選挙では選挙戦の失策によりトーリー党第2代フォーリー男爵トマス・フォーリーの推す候補2名が当選したが、1747年イギリス総選挙ではトーリー党候補のうち1名が立候補辞退したため、息子ジョージ・ウィリアムが無投票で当選した[9]

1740年5月14日、オックスフォード大学よりD.C.L.英語版の学位を授与された[10]

1751年3月18日に死去、長男トマス・ヘンリーに先立たれたため次男ジョージ・ウィリアムが爵位を継承した[1]

家族

1720年、エリザベス・アレン(Elizabeth Allen、1738年11月23日没、ジョン・アレンの娘)と結婚、3男をもうけた[1][2]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 473–474.
  2. ^ a b c d Watson, Paula (2002). "COVENTRY, William (c.1676-1751), of London". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月11日閲覧
  3. ^ "Coventry, William. (CVNY693W)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  4. ^ Watson, Paula (2002). "Bridport". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月11日閲覧
  5. ^ a b c Lea, R. S. (1970). "Bridport". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月11日閲覧
  6. ^ a b c d Lea, R. S. (1970). "COVENTRY, William (?1676-1751), of Croome Court, Worcs.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月11日閲覧
  7. ^ Sainty, John Christopher (1979). List of Lieutenants of Counties of England and Wales 1660–1974 (英語). London: Swift Printers (Sales).
  8. ^ Sainty, John Christopher (November 2002). "Custodes Rotulorum 1660-1828". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月4日閲覧
  9. ^ a b Lea, R. S. (1970). "Worcestershire". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月12日閲覧
  10. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (A to D) (英語). 1. Oxford: University of Oxford. p. 306.
  11. ^ Lea, R. S. (1970). "COVENTRY, Hon. John Bulkeley (1724-1801), of Nether Burgate, Fordingbridge, Hants.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月11日閲覧

外部リンク

グレートブリテン議会英語版
先代:
アレクサンダー・ピットフィールド
トマス・ストラングウェイズ
庶民院議員(ブリッドポート選挙区英語版選出)
1708年 – 1719年
同職:トマス・ストラングウェイズ 1708年 – 1713年
ジョン・ホスキンス・ギフォード英語版 1713年 – 1715年
ジョン・ストラングウェイズ 1715年
ピーター・ウォルター英語版 1715年 – 1719年
次代:
ピーター・ウォルター英語版
サー・デューイ・バークリー
名誉職
空位
最後の在位者
シュルーズベリー公爵
ウスターシャー統監英語版
1719年 – 1751年
次代:
コヴェントリー伯爵
先代:
パーカー男爵
ウスターシャー首席治安判事英語版
1719年 – 1751年
イングランドの爵位
先代:
ギルバート・コヴェントリー
コヴェントリー伯爵
1719年 – 1751年
次代:
ジョージ・ウィリアム・コヴェントリー



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