インゲゲルド・ハーラルスダッテルとは? わかりやすく解説

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インゲゲルド・ハーラルスダッテル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 10:25 UTC 版)

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インゲゲルド・ハーラルスダッテル
Ingegjerd Haraldsdatter
デンマーク王妃
スウェーデン王妃
在位 デンマーク王妃:1086年 - 1095年
スウェーデン王妃:1105年 - 1118年

出生 1046年ごろ
死去 1120年ごろ
結婚 1067年ごろ
1095/6年
配偶者 デンマーク王オーロフ1世
  スウェーデン王フィリップ
家名 ユングリング家シュル家
父親 ノルウェー王ハーラル3世
母親 エリザヴェータ・ヤロスラヴナ
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インゲゲルド・ハーラルスダッテル(ノルウェー語:Ingegjerd Haraldsdatter, 1046年ごろ - 1120年ごろ)は、ノルウェー王女でデンマーク王オーロフ1世およびスウェーデン王フィリップの王妃[1]

生涯

インゲゲルドはノルウェー王ハーラル3世エリザヴェータ・ヤロスラヴナの娘であり、従ってスウェーデン王オーロフ・シェートコヌングの曾孫で、キエフ大公ヤロスラフ1世の孫にあたる。インゲゲルドは1067年ごろにデンマーク王子であったオーロフ1世と結婚したが、この結婚はデンマークとノルウェーの平和条約の一環として決められたものであった。さらにこの同盟を強化するため、オーロフ1世の異母妹イングリズとインゲゲルドの弟オーラヴ3世が結婚した[2]1086年にオーロフがデンマーク王となり、インゲゲルドは王妃となった。

1095年にオーロフ1世が死去したのち、インゲゲルドはスウェーデンに出かけ、そこで1095年または1096年にスウェーデン王インゲ1世の甥フィリップと結婚した。1105年にフィリップはスウェーデン王となり、インゲゲルドは再び王妃となった。2度目の結婚後のインゲゲルドに関する出来事は知られていない[3]1118年にフィリップが死去した。インゲゲルドの正確な生没年は不明だが、2度目の夫の死後も生存していたことはわかっている。

脚注

  1. ^ Ingegerd was born to Harald and Ellisif -1046”. Harald Hardrada Timeline. 2016年5月20日閲覧。
  2. ^ "Olav 3 Haraldsson Kyrre", Store norske leksikon (ノルウェー語)
  3. ^ konung Filip”. Svenskt biografiskt lexikon. 2016年5月20日閲覧。

参考文献

  • Lars O. Lagerqvist (1982) (スウェーデン語). Sverige och dess regenter under 1.000 år(Sweden and its rulers during 1000 years). Albert Bonniers Förlag AB. ISBN 91-0-075007-7 



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