イフティハール・ウッディーンとは? わかりやすく解説

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イフティハール・ウッディーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/04 07:47 UTC 版)

イフティハール・ウッディーン(Iftikhār al-Dīn、生没年不詳)は、大元ウルスに仕えた官僚の一人。『元史』などの漢文史料での表記は益福的哈魯丁

概要

程鉅夫の文集である『雪楼集』巻2には元代中期に宰相職を歴任したウバイドゥッラーの曾祖父母・祖父母・父母の三代に関する記述があり、これによってイフティハール・ウッディーンの経歴と事蹟が伝えられている[1]。『雪楼集』によると、ウバイドゥッラーの曾祖父は「ムシャッラフ・ウッディーン(木沙剌福丁/Musharraf al-Dīn)」という人物で、「白旄黄鉞が西土にあらわれた(=チンギス・カン率いるモンゴル軍が中央アジアに現れた)時」、父子ともにこれに帰順したという[1][2]。ムシャッラフ・ウッディーンと、その息子のジャラール・ウッディーン(札剌魯丁/Jalāl al-Dīn)は東アジア方面に移住した後に学識優れた人物として知られたようで、ジャラール・ウッディーンは「チェルビ(察児必/Čerbi)」の地位を授けられている[1][3]

ジャラール・ウッディーンの息子がイフティハール・ウッディーンで、父・祖父に倣って学問に長けたイフティハール・ウッディーンでは大元ウルスに仕えて翰林学士承旨正奉大夫を授けられていた[4]。至元26年(1289年)5月には、尚書省が「亦思替非文字(Istifā、アラビア文字を指す)」を公卿大夫や富民の子に学ばせること、教授役にはこの字によく通じたイフティハール・ウッディーンで(益福的哈魯丁)を充てる事が提案されたとの記録がある[5][4]。一方、『雪楼集』によるとイフティハール・ウッディーンは「天人秘奥の絶学」に至っていたとされるが、これはイスラーム世界に由来する教学や天文暦算・財政理財の知識を指し、まさにこのような学問をイフティハール・ウッディーンは亦思替非文字=アラビア文字を通じて教授したものと考えられている[4]

以上の功績により、イフティハール・ウッディーンは朝廷において「賢公卿」と称され、中外でその善政を称えられたという[6][4]。息子には武宗・仁宗・英宗・泰定帝の4代に仕えたウバイドゥッラーがいる。

ムシャッラフ・ウッディーン家

ムシャッラフ・ウッディーン
木沙剌福丁
Musharraf al-Dīn
 
 
 
ファーティマ
法都馬氏
Fāṭima
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジャラール・ウッディーン
札剌魯丁
Jalāl al-Dīn
 
 
 
忽八氏
hūbā?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イフティハール・ウッディーン
益福的哈魯丁
Iftikhār al-Dīn
 
 
 
ザイナブ
宰那不氏
Zainab
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ウバイドゥッラー
烏伯都剌
ʿUbayd allāh

脚注

  1. ^ a b c 馬 2002, p. 175.
  2. ^ 『雪楼集』巻2 故曾祖父木沙剌福丁贈諡制,「中奉大夫中書参知政事烏伯都剌故曾祖父木沙剌福丁、贈昭文館大学士・資徳大夫、追封吉国公、諡忠懿制。士懐忠義、雖百世以如生、沢及子孫、乃積善之餘慶。睠予輔弼、亶有淵源。具官某故曾祖父某、以間世之才、得不伝之学。九州之外、五経之表、固自有人、三辰之運、六気之行、如指諸掌。知白旄黄鉞之顕西土、率簞食壺漿以迎王師、挙父子以偕来。至孫曾而方大是用。崇階進秩文館、陞華胙以名邦、錫之美諡。匪独栄其幽壌、抑以示於昕朝。於戯!徳闇而章、所以慰烝嘗之怵惕。世済其美、庶幾増門戸之光華。其服殊恩、以康乃後。可」
  3. ^ 『雪楼集』巻2 故祖父北京路木忽里兀察児必札剌魯丁贈諡制,「故祖父北京路木忽里兀察児必札剌魯丁、贈推誠宣力功臣光禄大夫・平章政事、追封吉国公、諡明襄制。天生賢佐、弼予一人。国有寵章、迨其三世。式彰孝治、載在賛書。具官某故祖父某官某、卓爾奇才、生於絶域。父子為師友、在家蓋有異、聞学術、貫天人、中国若合一契。於草昧而知天命、奮節義以迎王師。仕歴累朝、慶延後嗣。是用疇庸錫号、節恵易名。封肇啓於名邦、秩仍崇於宰路。載隆典礼、備極哀栄。於戯!逝不可追者親揚名以顕徳、何以加於孝、事君則忠、迪爾後人、歆予成命。可」
  4. ^ a b c d 馬 2002, p. 176.
  5. ^ 『元史』巻81選挙1,「世祖至元二十六年夏五月、尚書省臣言『亦思替非文字宜施於用、今翰林院益福的哈魯丁能通其字学、乞授以学士之職、凡公卿大夫与夫富民之子、皆依漢人入学之制、日肄習之』。帝可其奏」
  6. ^ 『雪楼集』巻2 故父翰林学士承旨正奉大夫亦福的哈魯丁贈諡制,「故父翰林学士承旨正奉大夫亦福的哈魯丁、贈推誠守正功臣金紫光禄大夫・大司徒・柱国、追封吉国公、諡忠簡制。惟世祖皇建有極、而衆賢聚在本朝。左右輔弼、罔匪正人、先後奔走、亦多吉士。至於天人秘奥之絶学、皆其家世授受之真伝。及臨事而有為、顧無施而不可、永懐旧徳、黙契予衷。具官某故父某官某、剛毅而恵和、広博而精粋。在階庭為良子弟、学術可以名家。在朝廷号賢公卿、中外称其善政。晩以耆老、久侍禁林。嗟哲人之云萎、幸良嗣之克肖。是用易名旌善、錫号表勲。啓山礪河帯之書、晋紫綬金章之秩、仍掌邦教、以光玄墟。於戯、不朽者名、雖死之年、猶生之日、欲報之徳、移子之孝、為臣之忠、英霊如存、寵光不替可」

参考文献

  • 馬娟「対元代色目人家族的考察」『元史及民族史研究集刊』第15輯、2002年



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