イバン・ファンディーニョとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > イバン・ファンディーニョの意味・解説 

イバン・ファンディーニョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 22:29 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はファンディーニョ第二姓(母方の)はバロスです。(Template:スペイン語圏の姓名
イバン・ファンディーニョ
生誕 Iván Fandiño Barros
1980年9月29日
スペインバスク州ビスカヤ県ウルドゥニャ/オルドゥニャ
死没 (2017-06-17) 2017年6月17日(36歳没)
フランスヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ランド県エール=シュル=ラドゥール英語版
国籍 スペイン
職業 闘牛士
活動期間 2002年-2017年

イバン・ファンディーニョ・バロススペイン語: Iván Fandiño Barros, 1980年9月29日 - 2017年6月17日)は、スペインバスク州ビスカヤ県ウルドゥニャ/オルドゥニャ出身の闘牛士[1]。フランスのランド県エール=シュル=ラドゥール英語版において、闘牛中に角で突かれて死亡した[2]

経歴

2017年6月17日、事故が起こる直前のファンディーニョ

昇格

1980年9月29日にバスク州ビスカヤ県ウルドゥニャ/オルドゥニャに生まれた。家族に闘牛士はいなかったが、14歳の時に将来の夢をバスク・ペロタ選手から闘牛士に変えた。1999年8月16日、アラバ県ラウディオ/リョディオ闘牛場ノビジェーロ(見習い闘牛士)としてデビューした。2002年6月2日、ウルドゥニャ/オルドゥニャの闘牛場で槍士(ピカドール)としてデビューした。

2004年9月12日、マドリードの闘牛場で正闘牛士としてデビューした。2014年にはエクアドル人種畜家の娘と結婚し、一子(娘)を儲けていた。スペイン国営ラジオ(RNE)が選出する年間最優秀闘牛士に2年連続で選ばれた。ファンディーニョは正闘牛士として12年間のキャリアを持ち、数々の賞を受賞していた[1]

事故

2017年6月17日、フランス・ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ランド県エール=シュル=ラドゥール英語版闘牛場で開催されていた闘牛祭において、闘牛に突かれて死亡した。ファンディーニョは闘牛の気を散らすためのムレータに足を取られてよろめき、肺などの胴体を背後から角で突かれたのである[3][4]。すぐにアリーナから運び出され、闘牛場内の医務室で緊急手術を受けたが[1]、搬送先のモン・デ・マルサン病院で死亡が確認された[4]。ファンディーノを突いた闘牛にとどめを刺した正闘牛士のフアン・デル・アルモは、「言葉がない。信じられない」と語った[1]。スペイン人闘牛士としては、2016年7月9日にテルエル闘牛場で死去したビクトル・バリオに次ぐ死者だった。

脚注

[脚注の使い方]



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「イバン・ファンディーニョ」の関連用語

イバン・ファンディーニョのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



イバン・ファンディーニョのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのイバン・ファンディーニョ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS