アンナ・サールステン
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アンナ・サールステン
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Anna Sahlstén | |
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20代後半のアンナ・サールステン
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生誕 | 1859年9月22日 フィンランド、イーサルミ(Iisalmi) |
死没 | 1931年8月21日 (71歳没) フィンランド、ヘルシンキ |
アンナ・サールステン(Anna Sofia Sahlstén、1859年9月22日 - 1931年8月21日)は、フィンランドの画家、美術教師である。肖像画や風俗画を描いた[1][2]。
略歴
現在の北サヴォ県のイーサルミ(Iisalmi)で生まれた。父親は商工会議所の顧問で、8歳の時家族とヘルシンキに移った。1877年に女子学校を卒業した。1877年からヘルシンキのフィンランド絵画協会の美術学校(現在の Taideyliopiston Kuvataideakatemia)で学んだ後、1880年からアドルフ・フォン・ベッカーのヘルシンキの私立美術学校で学び[2]、1884年から1885年の冬はパリに出てギュスターヴ・クルトワ(1852-1923)やジャン=アンドレ・リクセン(1846-1925)、ポール=ルイ・ドゥランス(1848-1924)といった画家に学んだ。1889年から1890年にも奨学金を得てパリで修行し、パリの私立の美術学校アカデミー・コラロッシで学んだ。
21歳から中等学校の美術教師として働き始め、1882年から1926年までの46年間、その仕事を続けた[3] 。1906年に、フィンランド絵画教師協会(Piirustusopettajayhdistystä)の創設者の一人になり初代会長になった。1907年から協会の機関誌「Styluksen(スタイラスの意)」の創設者の一人となった。
1931年にヘルシンキで亡くなった。
肖像画や職場や家庭での人々の姿を描いた作品で知られている。[4]
作品
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コーヒーおばあさん(1895)、個人蔵
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編み物するおばあさん(1900)、個人蔵
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「十字架像の足元で」
タンペレ美術館 -
パンを作る婦人
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教会へ向かう夫婦(1892)
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病室で (c.1893),br>エスポー近代美術館
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ルンニの健康にいいとされる井戸水を汲む人々 (1898)
参考文献
- ^ Väinämö, Rauni (26 August 1996). “Unohdettujen naistaiteilijoiden esiinmarssi jatkuu Iisalmessa Anna Sahlsten maalasi körttinaisia”. Helsingin Sanomat 18 August 2020閲覧。
- ^ a b “Sahlstén, Anna (1859–1931)”. Kansallisbiografia (23 January 2015). 19 August 2020閲覧。
- ^ “Anna Sahlsten”. Artist Register. Artists' Association of Finland. 19 August 2020閲覧。
- ^ Laitinen-Littorin, Pauliina (6 May 2016). “Anna Sahlstén tuntee mummot ja maaseudun”. Taloustaito 19 August 2020閲覧。
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