アントワーヌ・ドニ・ショーデとは? わかりやすく解説

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アントワーヌ=ドニ・ショーデ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/31 04:12 UTC 版)

アントワーヌ・ドニ・ショーデ
Antoine Denis Chaudet
生誕 1763年3月3日
フランス王国パリ
死没 1810年4月19日
フランス帝国パリ

アントワーヌ・ドニ・ショーデ(Antoine Denis Chaudet、1763年3月3日 - 1810年4月19日)はフランスの新古典派の彫刻家である。

略歴

パリで生まれた。彫刻家のジャン・バプティスト・ストーフ(Jean-Baptiste Stouf: 1742-1826)やエティエンヌ・ゴワ(Étienne Gois le père: 1731-1823)の弟子になり、1784年に彫刻のローマ賞を受賞し、在ローマ・フランス・アカデミーに、留学した。

1789年にパリに戻り、王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれるが、アカデミーはフランス革命で1793年に廃止された。1793年にジャンヌ=エリザベート・ガビュウ(Jeanne-Élisabeth Chaudet:旧姓Gabiou: 1767-1832)と結婚した。ジャンヌ=エリザベートはショーデから美術を学び、肖像画家になった。

1803年に新たに創立されたフランス学士院の教授に選ばれた。1804年にナポレオン・ボナパルトの大理石像を制作し、この像をもとに、1810年にピエール=ノラスク・ベルジェレや多くの彫刻家のチームによって製作されたヴァンドーム広場のオーステルリッツの戦勝記念柱のナポレオン像が作られた。その年ショーデはパリで没している。

ヴァンドーム広場のナポレオン像はナポレオンの失脚後、記念柱から降ろされ廃棄されるが、ナポレオン3世の命令で、1863年にオーギュスト・デュモンによって復元された。

作品

参考文献

  • Marie-Nicolas Bouillet et Alexis Chassang (dir.), « Antoine Denis Chaudet » dans Dictionnaire universel d’histoire et de géographie, 1878 (lire sur Wikisource).
  • Skulptur aus dem Louvre. Sculptures françaises néo-classiques. 1760-1830, Paris, musée du Louvre, 1990, p. 313 — Catalogue de l'exposition au musée du Louvre du 23 mai au 3 septembre 1990.



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