アントニオ・ヴェネツィアーノとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アントニオ・ヴェネツィアーノの意味・解説 

アントニオ・ヴェネツィアーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/03 00:56 UTC 版)

アントニオ・ヴェネツィアーノ
Antonio Veneziano
18世紀に出版された著作に掲載された肖像画
生誕 14世紀生まれ
イタリア、ヴェネツィア
死没 1388年
イタリア、フィレンツェ
テンプレートを表示

アントニオ・ヴェネツィアーノ(Antonio Veneziano、Antonio di Francesco da Venezia[1] や Antonio Viniziano、活動期間は1369年から1388年)は、ヴェネツィア出身でフィレンツェシエーナピサで活動した。

略歴

ルネサンス期の芸術家の評伝を著したジョルジョ・ヴァザーリによればヴェネツィアの生まれで、フィレンツェの画家、タッデオ・ガッディ(c.1300-1366)の弟子であった。1369年から1370年にシエーナの聖堂の仕事をした。1374年にフィレンツェで働いた記録があり、1384年から1386年はピサで働き、ピサのカンポサント・モニュメンターレ(Camposanto Monumentale di Pisa)のアンドレア・ディ・ボナイウート(Andrea di Bonaiuto: 1319–1377)が制作し始めた壁画を完成させた。この壁画は第二次世界大戦の空襲で被害を受けた。ヴァザーリによれば、この仕事で良い報酬を得て、フィレンツェではサンタ・マリア・ノヴェッラ教会(Basilica di Santa Maria Novella)の壁画を制作した。

ヴァザーリの著作では、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿の壁画の仕事をしたが報酬が低かったので、フィレンツェに移ることにしたことやゲラルド・スタルニーナがアントニオ・ヴェネツィアーノの弟子であったことなどを伝えている。

1374年にフィレンツェの薬剤師と医師のギルドに登録され、医師や薬剤師として働いていたと伝えていて、ディオスコリデスを研究し、ハーブや薬の実験をした。

1388年にフィレンツェで亡くなったとされる。

作品

脚注

  1. ^ Marco Chiarini, Dizionario biografico degli italiani, vol. 3, 1961.

参考文献

  • Ghiberti, Lorenzo, Lorenzo Ghiberti, I commentarii, Biblioteca nazionale centrale di Firenze, Firenze, Giunti, 1998.
  • Ladis, Andrew, Antonio Veneziano and the Representation of Emotions, Apollo 124/295 (September 1986), 154-161.
  • Vasari, Giorgio, Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, ed architettori.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アントニオ・ヴェネツィアーノのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アントニオ・ヴェネツィアーノ」の関連用語

アントニオ・ヴェネツィアーノのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アントニオ・ヴェネツィアーノのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアントニオ・ヴェネツィアーノ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS