アンソニー・J・デマリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/28 13:01 UTC 版)
アンソニー・J・デマリア | |
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生誕 | 1931年10月30日![]() |
死没 | 2025年1月26日 (93歳没)![]() |
国籍 | ![]() ![]() |
研究分野 | 物理学 |
研究機関 | ユナイテッド・テクノロジーズ レンセラー工科大学 カリフォルニア工科大学 |
教育 | コネチカット大学 |
プロジェクト:人物伝 |
アンソニー・J・デマリア(Anthony J. DeMaria、1931年10月30日[1] - 2025年1月26日)は、イタリア生まれのアメリカ合衆国の物理学者。専門分野はレーザーとその応用であり、特にピコ秒レーザーパルスの研究で知られる。
来歴
1956年にコネチカット大学で基礎工学のPh.D.を取得し[2]、1960年から1994年までユナイテッド・テクノロジーズの研究センターに勤務し、レーザーに対する音響光学の応用、ガラスレーザーの受動Qスイッチとモードロック、高速フローおよび導波RF励起CO2レーザー、CO2レーザーレーダーシステム、ファイバーオプティックス・センサーの研究を行い、1985年から1994年までは研究所の副主幹を務めた。1994年にDeMaria ElectroOptics Systemsを設立した。2001年にCoherent, Inc.に買収された。現在、デマリアはそこのチーフ・サイエンティストを務めている。コネチカット大学のECEに所属する教授でもあり、レンセラー工科大学の助教授とカリフォルニア工科大学のDistinguished Fairchild Scholar を務めていたこともある(1982年 – 1983年)。
栄誉・受賞
45件の特許を保持しており、米国科学アカデミーと全米技術アカデミーの一員であり、コネチカット科学技術アカデミー、米国光学会、SPIEの元会長であり、アメリカ物理学会、IEEE、米国光学会、SPIEのフェローである。1980年にIEEEモーリス・N・リーブマン記念賞を「最初のピコ秒光パルス発生器の開始及び実証への貢献」により受賞した。1988年フレデリック・アイヴズメダル受賞。
2025年1月26日、マサチューセッツ州サウスウィック・コンガモンド・レーク地区の自宅で死去。93歳没[3]。
脚注
- ^ “Anthony J. DeMaria | OSA History | The Optical Society”. www.osa.org. 2024年12月13日閲覧。
- ^ Oral History interview transcript with Anthony DeMaria 13 April 1984, American Institute of Physics, Niels Bohr Library and Archives
- ^ “Obituary information for Anthony J. DeMaria” (英語). www.carmonfuneralhome.com. 2025年8月23日閲覧。
外部リンク
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