アルフォンソ・アロンソとは? わかりやすく解説

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アルフォンソ・アロンソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 00:18 UTC 版)

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はアロンソ第二姓(母方の)はアラネギです。
アルフォンソ・アロンソ
Alfonso Alonso
ビトリア=ガステイス市長
任期
1999年7月4日 – 2007年6月16日
スペイン下院議員
任期
2008年3月9日 – 2016年10月17日
スペイン政府 保健・社会サービス・平等大臣
任期
2014年12月3日 – 2016年8月16日
個人情報
生誕 Alfonso Alonso Aranegui
(1967-04-14) 1967年4月14日(53歳)
アラバ県ビトリア=ガステイス
政党 国民党(PP)
出身校 バスク大学

アルフォンソ・アロンソ・アラネギスペイン語: Alfonso Alonso Aranegui, 1967年4月14日 - )は、スペインアラバ県ビトリア=ガステイス出身の政治家国民党(PP)所属。2014年から2016年にはマリアーノ・ラホイ首相率いる第1次ラホイ内閣で保健・社会サービス・平等大臣を務めた[1]

経歴

1967年4月14日、アラバ県ビトリア=ガステイスに生まれた。バスク大学ロマンス諸語法学の学位を取得し、大学卒業後には弁護士となった。

ビトリア=ガステイス市長時代

1996年5月31日にはビトリア=ガステイス市議会議員に就任した。1999年の地方自治体議会選挙には国民党(PP)の筆頭候補(市長候補)として臨み、1999年7月4日にはビトリア=ガステイス市長に就任した。2000年3月28日にはビトリア=ガステイス市長との兼任でスペイン下院議員に就任したが、市長の職務に専念するために2002年1月4日に下院議員を辞任した。2007年の地方自治体議会選挙で国民党はバスク社会党に敗れ、6月14日にはビトリア=ガステイス市長を退任した。2008年3月9日には再び下院議員に就任した。2016年10月17日まで下院議員を務めた。

第1次ラホイ内閣閣僚時代

2011年12月13日にはソラヤ・サエンス・デ・サンタマリーアから引き継ぎ、スペイン下院における国民党(PP)のスポークスパーソンに就任した。2014年には大規模汚職事件であるギュルテル事件英語版が明るみとなり、マリアーノ・ラホイ首相率いる第1次ラホイ内閣のアナ・マト英語版が保健・社会サービス・平等大臣を辞任した。2014年12月3日にはアロンソがマトの後任として保健・社会サービス・平等大臣に就任した。

国民党バスク州支部長時代

2015年10月15日には国民党バスク州支部長に就任し、2016年10月19日にはバスク州議会議員に就任した。2020年2月24日には国民党バスク支部長を退任した。

家族

母方の祖父であるマヌエル・アラネギ・イ・コルは、フランコ体制下の1957年から1966年までアラバ県議会議長を務めた人物である。父方の家系はサン・セバスティアン出身である。父親のラモン・アロンソは画家であり、1975年からテネリフェ島に居住している。テニス選手のホセ・マリア・アロンソマニュエル・アロンソは父方のおじである。

脚注

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