アブドゥルキリムアバソフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アブドゥルキリムアバソフの意味・解説 

アブドゥルキリム・アバソフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 22:41 UTC 版)

アブドゥルキリム・アバソフ

アブドゥルキリム・アバソフ1921年 - 1949年8月)は、ウイグル人の革命家。第二次東トルキスタン共和国の政治的軍事的指導者。

略歴

キルギスカラコル生まれ。1926年にグルジャに移住した。 1945年11月~1947年2月、東トルキスタン人民革命党の執行委員会議長。同党は地下組織であり、中国国民党に反対し、全連邦共産党(ボリシェヴィキ)と中国共産党側に立つことを宣言した。

1947年2月、東トルキスタン人民革命党は、新疆共産主義者同盟と連合し、アバソフは、東トルキスタン人民革命党中央委員会議長となった。

1948年8月、東トルキスタン人民革命党が解散され、党員は、クリジで創設された新疆平和・民主主義擁護同盟に移った。

1949年、中共政府との交渉のために、飛行機でアルマ・アタ経由で北京に向かった。その後については諸説がある。新華社の公式情報によれば、8月25日、アバソフ等を乗せた飛行機は、イルクーツク近郊で墜落したとされる。別説によれば、8月27日、モスクワ、ルビャンカで殺害されたともいう。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

アブドゥルキリムアバソフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アブドゥルキリムアバソフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアブドゥルキリム・アバソフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS