アッピウス・クラウディウス・ルッススとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アッピウス・クラウディウス・ルッススの意味・解説 

アッピウス・クラウディウス・ルッスス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/07 21:20 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
アッピウス・クラウディウス・ルッスス
Appius Claudius Russus
(Ap. Claudius Ap .f. C. n. Russus)
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 クラウディウス氏族
官職 執政官(紀元前268年)
テンプレートを表示

アッピウス・クラウディウス・ルッススラテン語: Appius Claudius Russus, 生没年不詳)は共和政ローマパトリキ(貴族)出身の政治家・軍人。紀元前268年執政官(コンスル)を務めた。

経歴

父は紀元前307年の執政官でアッピア街道の建設者としても有名なアッピウス・クラウディウス・カエクスである[1]

紀元前268年にプブリウス・センプロニウス・ソプスとともに執政官に就任。ルッススはソプスとともにピケヌム(en)に勝利し、その勝利を讃えて凱旋式を実施する栄誉を得た[2][3]。またアリミヌム(現在のリミニ)とベネウェントゥム(現在のベネヴェント)に植民都市を建設した。しかし、ルッススは1年の任期が完了する前に死去した[2]

カピトリヌスのファスティと354年のクロノグラフィ(en)によれば、彼のコグノーメン(第三名、家族名)はルッススとなっているが、ヒダティウス(en)の年代記とパスカルの年代記(en)では、おそらくは間違いと思われるが、「ルフス」とされている。

逸話

ガイウス・スエトニウス・トランクィッルスは、「クラウディウス・ドルススは冠を着けた彼の像をフォルムの一つに建て、クリエンテスを通じて全イタリアを支配しようとした」と述べているが、後世の歴史家によれば、これはルッススの事であるという[4]

参考資料

  1. ^ ウェッレイウス・パテルクルス『ローマ世界の歴史』、I. 14. 7.
  2. ^ a b エウトロピウス『首都創建以来の略史』、II. 16.
  3. ^ 凱旋式のファスティ
  4. ^ ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス『皇帝伝:ティベリウス』、II.

関連項目

公職
先代:
クィントゥス・オグルニウス・ガッルス
ガイウス・ファビウス・ピクトル
執政官
同僚:プブリウス・センプロニウス・ソプス
紀元前268年
次代:
マルクス・アティリウス・レグルス
ルキウス・ユリウス・リボ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アッピウス・クラウディウス・ルッスス」の関連用語

アッピウス・クラウディウス・ルッススのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アッピウス・クラウディウス・ルッススのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアッピウス・クラウディウス・ルッスス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS