アショタン1世 (ムフラニ公)とは? わかりやすく解説

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アショタン1世 (ムフラニ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 07:43 UTC 版)

アショタン1世
აშოთან I

ムフラニ公
在位期間
1539年1561年
先代 バグラト1世
次代 ヴァフタング1世

死亡 1561年
家名 ムフラニ家グルジア語版
父親 バグラト1世
母親 エレネwikidata
信仰 ジョージア正教会
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ムフラニ公アショタン1世グルジア語: აშოთან I მუხრანბატონიグルジア語ラテン翻字: Ashotan I Mukhranbatoni1561年没)は、カルトリ王国の貴族(タヴァディグルジア語版)。バグラティオニ王家グルジア語版の傍系であるムフラニ家グルジア語版の創始者バグラト1世の子で、1539年に兄ヴァフタング1世と共同でムフラニバトニ)となった。

生涯

アショタンはジョージア王コンスタンティネ2世の息子バグラト1世と、その妻エレネwikidataとの間にうまれた。1539年にバグラトがムフラニ公の地位を退いた後、アショタンは兄のヴァフタンと共同でムフラニ公の地位を継承した[1]。また同時にアショタンは、従兄ルアルサブ1世グルジア語版が統治するカルトリ王国の主要地域である内カルトリグルジア語版の軍管区(サドロショ)の司令官(サルダリ)も務めた。

アショタン1世はジョージア王家の伝統に従い、アトス山イヴィロン修道院英語版の庇護者となった[2]。アショタンが寄進したイヴィロン修道院の食堂館は、カトリコス総主教ニコラス8世グルジア語版の墓所となった。

1554年にサファヴィー朝のシャー・タフマースブ1世ジョージアに侵攻グルジア語版した際、アショタンは兄のヴァフタングアルチル英語版とともに、姉デディシメディグルジア語版がいるサムツヘ公国グルジア語版の宮廷に避難した。その後アショタンは自領に戻った。アショタンは1561年にプホヴィグルジア語版の山岳住民から攻撃を受け、ムフラニを守ることに成功したが、アショタン自身は戦死した[2]

家族

アショタンの妻の素性は不明であるが、アショタンには娘ケテヴァンがいた。ケテヴァンはカヘティ王ダヴィト1世グルジア語版と結婚した。ケテヴァンはサファヴィー朝のシャー・アッバース1世からイスラム教への改宗を強要されたが、改宗を拒否したため拷問を受けて殺された。その後ケテヴァンはジョージア正教会によって聖人として列聖された[3]

脚注

  1. ^ Toumanoff, Cyrille (1990) (French). Les dynasties de la Caucasie Chrétienne: de l'Antiquité jusqu'au XIXe siècle: tables généalogiques et chronologique [Dynasties of Christian Caucasia from Antiquity to the 19th century: genealogical and chronological tables]. Rome. p. 556 
  2. ^ a b Jamburia, M. (1984). “აშოთან მუხრანბატონი [Ashotan Mukhranbatoni]” (Georgian). ქართული საბჭოთა ენციკლოპედია, ტ. 7 [Georgian Soviet Encyclopedia]. Tbilisi. p. 230 
  3. ^ Avalishvili, Zurab (1937). “T'eimuraz I and his poem "the Martyrdom of Queen K'et'evan"”. Georgica 4–5: 17. 



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