アクロタトス_(スパルタ王)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アクロタトス_(スパルタ王)の意味・解説 

アクロタトス (スパルタ王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/28 07:55 UTC 版)

アクロタトス古希: Ακρότατος古代ギリシア語ラテン翻字: Acrotatos、在位:紀元前265年 - 紀元前262年)はアギス朝のスパルタ王である。

略歴・人物

アクロタトスは先王アレウス1世の子であり、同名の祖父アクロタトスの孫にあたる。アクロタトスは父の死後、王位に就いた。

アクロタトスはまだ王位についてなかった頃、アレウスの叔父クレオニュモスの妻ケリドニスと姦通した。この事件によって寝取られ男として不名誉を被り、さらに王位を得られなかった失望によってクレオニュモスは自らが王にならんとして紀元前272年エピロスピュロスに援軍を要請し、ピュロスはそれに応じて歩兵25000、騎兵2000、象24頭を率い、スパルタに攻め込んだ[1]。その時、王のアレウスは軍を率いてクレタに出払っており、アレウスの帰還までのスパルタの防衛はアクロタトスに負う所が大きかった。アクロタトスはスパルタ市の防戦で奮戦し、アレウスの帰国とアンティゴノス2世からの援軍の到着まで持ちこたえた[2]

その後、王位に就いたアクロタトスは即位から間もない年にメガロポリスに侵攻し、僭主アリストデモスと戦い、戦死した[3]。その時ケリドニスは身ごもっており、彼の死後生まれたアレウス2世が王位を継いだ[4]

アクロタトスはスパルタの風習の単純さを損なったとして歴史家のピュラルコスによって批判された。

  1. ^ プルタルコス, 「ピュロス」, 26
  2. ^ ibid, 28-29
  3. ^ パウサニアス, VIII, 27, 11
  4. ^ パウサニアス, III, 6, 6

参考文献

先代
アレウス1世
スパルタ王(アギス朝)
紀元前265年 - 紀元前262年
次代
アレウス2世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アクロタトス_(スパルタ王)」の関連用語

アクロタトス_(スパルタ王)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アクロタトス_(スパルタ王)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアクロタトス (スパルタ王) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS