龍且 龍且の概要

龍且

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:06 UTC 版)

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経歴

紀元前206年、漢王劉邦が起兵して三秦を平定すると、楚の龍且は項它とともに定陶の南で灌嬰の軍と戦ったが敗れた[1]紀元前204年、龍且は項羽一族の項声とともに淮南を攻め、英布の軍を破った。英布は漢を頼って逃亡した[2]

紀元前203年10月、韓信臨淄を平定すると、項羽は龍且に命じて、亜将周蘭を副将として将兵20万を率いさせて派遣させた。冬11月[3] のことであった。周蘭は持久戦にすべきと龍且に進言したが、彼は韓信のことを「股夫」と侮ってこれを聴かなかった。

龍且と周蘭は韓信と濰水をはさんで対陣した。韓信は夜間のうちに濰水の上流に土嚢を積んで堰を造り、水を塞いでおいた。韓信は軍を率いて半ばが渡ったところで龍且の軍を攻撃し、偽って敗走した。龍且は「私は以前からもともと韓信が臆病なのは知っていた」と嘲笑って追撃した。これをみた韓信は土嚢の堰を決壊させた。龍且の軍の大半が渡りきらないうちに韓信は反撃を加え、龍且は灌嬰の軍勢によって討ち取られた[4]

脚注


  1. ^ 史記』樊酈滕灌列伝
  2. ^ 『史記』黥布列伝
  3. ^ 『史記三家註』巻94
  4. ^ 『史記』淮陰侯列伝


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