高林拓二 高林拓二の概要

高林拓二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/10 11:56 UTC 版)

人物

1957年に大窪一玄に弟子入りし、1961年に入段。2006年には第15期竜星戦で優勝決定トーナメントに進出[1]

社会様式の変化に伴って廃れつつあった内弟子を取り、後進の育成に努めた。囲碁については「いかに自分の気持ちをコントロールするかが大事」と語っており、弟子たちとも真剣に対局した[2]。高林の死後に入段した日野勝太は、高林との対局数は1,000局以上にも及んだと述懐している[3]。内弟子との真剣勝負を続けることで自身の成績も向上し、また、囲碁の良さにも改めて気づけたことを2018年のインタビューで語っている[2]

許家元によれば、内弟子時代は毎朝6時に起床し、掃除・体操の後に授業を行う生活を、6 - 7人いた他の門下生とともに行っていたという[4]小池芳弘は、テレビを見たりゲームをしたりすることもなく、自宅に帰るのもお盆と正月の数日程度だったが、こうした指導方法に特に不満を感じたことは無いと内弟子時代を振り返っている[5]

高林の内弟子と、洪清泉が主宰する洪道場の道場生はライバル関係にあったというが、一方で高林が高齢化し、指導が困難になった際には小池と日野の指導を洪に依頼した。日野がプロ入りを果たした際に、洪は「先生との約束を果たしてホッとしました」「先生も喜んでくださると思います」と語っている[6]

病院嫌いだったといい、大腸癌を患ったのち、多臓器不全により2019年7月7日、77歳で死去[7][8]。弟子たちには、「人間性も磨いて、立派な棋士になりなさい」と言い残した[7]。生涯成績302勝443敗5持碁。

門下生

棋歴

昇段履歴

  • 1961年 入段
  • 1962年 二段
  • 1964年 三段
  • 1991年 四段
  • 1996年 五段
  • 2000年 六段
  • 2019年 七段(追贈)

外部リンク


  1. ^ 第15期 竜星戦”. 日本棋院. 2022年10月10日閲覧。
  2. ^ a b 『読売新聞』2018年1月30日夕刊 5面
  3. ^ a b 囲碁・日野勝太初段「師匠の前で恩返ししたかった」高林拓二七段最後の弟子”. 日刊スポーツ (2021年10月5日). 2022年10月10日閲覧。
  4. ^ 日本圍棋史上最年輕「碁聖」得主 他竟然是位台灣人” (中国語). 信傳媒 (2018年12月19日). 2022年10月10日閲覧。
  5. ^ LIBRA 2018年3月号”. 東京弁護士会. p. 44. 2020年10月10日閲覧。
  6. ^ 勝太、入段おめでとう!”. 洪道場ホームページ (2021年7月1日). 2022年10月10日閲覧。
  7. ^ a b 伊藤洋一 (2021年5月26日). “令和の囲碁界牽引する許家元新十段 攻めの棋風、休日はアウトドア派”. 産経ニュース. 2022年10月10日閲覧。
  8. ^ 囲碁の高林拓二六段が死去”. 産経ニュース (2019年7月8日). 2022年10月10日閲覧。


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