青列車 (バレエ) 青列車 (バレエ)の概要

青列車 (バレエ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/18 01:29 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

概要

地中海に面する当時最先端のヴァカンス地であったコート・ダジュールの海水浴場を舞台としており、ここと、パリなど北フランスを結ぶ夜行列車「青列車」からタイトルが付けられた[1]

すでに『青い神』(1912年)、『パラード』(1917年)でバレエ・リュスのために台本を書いていたジャン・コクトーが、宙返りなどのアクロバティックな能力を持ったバレエ・リュスのダンサー、アントン・ドーリンの動きを活かすために企画し、ディアギレフに売り込んだことがきっかけとなって成立した。音楽はダリウス・ミヨー、振付はブロニスラヴァ・ニジンスカ、衣装はココ・シャネル、美術はアンリ・ローランス(Henry Laurens)が担当した。

シャネルがデザインしたファッションや、海水浴、日焼けオイル、フラッシュ付小型カメラといった、当時の最先端の流行が取り入れられており、特定の筋書きは持っていない。

初演は1924年6月20日、パリ、シャンゼリゼ劇場におけるバレエ・リュスの公演において行われ(指揮:アンドレ・メサジェ)、ニジンスカによるテニスや水泳の動きを取り入れた斬新な振付[2][3]は評判となり、人気作品となった。しかし、ドーリンの退団(1925年)に伴い、彼のパートを踊れるダンサーがいなくなったことから、バレエ・リュスのレパートリーからは外された。

参考文献

  • 芳賀直子『バレエ・リュス その魅力のすべて』国書刊行会、2009年



  1. ^ タイトルについては当初、『美男』、『めんどり』などの案があった。
  2. ^ スポーツをテーマにしたバレエ・リュスの作品には1913年の『遊戯』(音楽:クロード・ドビュッシー、振付:ヴァーツラフ・ニジンスキー)がある。
  3. ^ 創作過程の中で、ニジンスカは振付をめぐってコクトーと対立した。


「青列車 (バレエ)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青列車 (バレエ)」の関連用語

青列車 (バレエ)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青列車 (バレエ)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの青列車 (バレエ) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS