野々市市立富陽小学校 概要

野々市市立富陽小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 17:14 UTC 版)

概要

1981年野々市小学校の児童数増加に伴い同年9月に建設が着工した。1982年1月には学校名が富陽小学校に決まり、4月に開校した。さらに児童数増加し2009年から2012年にかけて校舎増築工事及び大規模改造工事が行われた。

沿革

通学区域

  • 新庄1〜6丁目、粟田(あわだ)1〜6丁目、末松1〜3丁目、上林1〜5丁目、中林1〜5丁目、下林1〜4丁目、藤平、藤平田(とへいだ)1、2丁目、清金1〜3丁目[3]
  • 新庄1、2丁目と末松1、2丁目の1〜4年生はバス通学が認められている。
  • 全区域の児童が野々市中学校に進学する。

公務災害

  • 2016年1月20日、同校学年主任の女性教員(当時51歳)が校内での研究会中にくも膜下出血を発症し倒れて意識不明となり、同年2月3日に死亡。2017年2月3日、遺族が勤務中に倒れて亡くなったのは過重な勤務が原因として市役所を訪れ、民間の労災にあたる公務災害認定を地方公務員災害補償基金県支部宛に申請[4]

学校周辺

出身者

脚注


  1. ^ a b c d 富陽小学校 学校要覧 沿革”. 2021年7月6日閲覧。
  2. ^ 大規模改修観察日記”. 2021年7月6日閲覧。
  3. ^ 野々市市教育委員会 (2017年8月). “平成29年度 野々市市の教育概要”. p. 22. 2022年5月7日閲覧。
  4. ^ “女性教員、勤務中に倒れ死亡 夫が命日に公務災害申請”. 朝日新聞. (2017年2月3日). オリジナルの2020年8月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200804112956/http://www.asahi.com/articles/ASK234RPTK23PJLB00B.html 
  5. ^ 広報ののいち 2010年9月号” (PDF). 野々市町. p. 8. 2012年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月2日閲覧。
  6. ^ 広報野々市 2014年9月号” (PDF). 野々市市. p. 2. 2014年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月2日閲覧。


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