赫連勃勃とは? わかりやすく解説

赫連勃勃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/09 07:58 UTC 版)

赫連 勃勃(かくれん ぼつぼつ、音訛して赫連佛佛とも[1][2])は、五胡十六国時代(大夏・北夏・胡夏)の創建者。匈奴の出身で、劉衛辰の三男である。当初は劉勃勃と名乗り、没後は世祖武烈皇帝された。後世の北魏太武帝が卑下して改名したため、『魏書』では赫連屈丐(屈孑)という表記が用いられている[3]


  1. ^ 『宋書』
  2. ^ a b c 『釈氏通鑑』等仏教説話
  3. ^ a b 『魏書』「列伝第八十三 - 鉄弗劉虎」巻95
  4. ^ a b c d e 『晋書』「赫連勃勃載記」巻130
  5. ^ a b c d e f 三崎、P116-120
  6. ^ 『資治通鑑』「晋紀」巻107
  7. ^ 『資治通鑑』「晋紀」巻112
  8. ^ 『資治通鑑』「晋紀」巻114:「邕曰:『勃勃奉上慢、御衆残、貪猾不仁、軽為去就。寵之逾分、恐終為辺患』。興乃止」
  9. ^ 『資治通鑑』「晋紀」巻114
  10. ^ 『資治通鑑』「晋紀」巻116
  11. ^ 『資治通鑑』「宋紀」巻120
  12. ^ 市来弘志、五胡十六国時代遊牧民研究、第三部
  13. ^ 『資治通鑑』「後唐紀」巻278


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