荒砥城 (出羽国) 概要

荒砥城 (出羽国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/29 09:49 UTC 版)

概要

八乙女城山(標高212メートル)の山頂から山腹にかけて築かれた荒川氏の居城である。戦国時代には伊達氏の支配下にあり、最上領と隣接する「境目の城」として重要視された。江戸時代には米沢藩五支城[2]の一に数えられて重臣が城主(のち役屋将)を務め、八乙女周辺を統治した。

遺構・復元施設

  • 八乙女神社 - 階段の途中には井戸跡もある。
  • 「荒砥城(八乙女城)址と八乙女神社」碑
  • 空堀跡
  • 三の丸跡 - 学校跡地に建造の「荒砥地区コミュニティセンター」入り口になっている。
  • 二の丸跡 - 帯曲輪が現存。
  • 本丸跡 - 神社本殿から、もう一段登った場所に位置し、春には桜が咲く。

周辺施設・関連資料ほか

  • 荒砥駅前の案内板 - 荒砥城下のイラスト地図。

交通

関連項目


  1. ^ a b 「文化財一覧」白鷹町公式HP
  2. ^ 館山城鮎貝城小国城中山城荒砥城(館山城を除く4城はのちに「役屋」に改称)。幕末の加増により高畠城が追加。


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